寄せられたメールから

ホームページを読んだ方からメールで症例が寄せられている

 

【 お名前 】:nobby  【 職 業 】:無職

当方60歳、うつ病を繰り返し、休職期間を経て退職しました。自分はうつ病の辛さからデパスを常用し、4年前の入院時には馬に食べさせるほどの向精神薬を服用しました。もともと感情表現が豊かではなかったとはいえ、家族に対してもやさしくできず、ひょっとして薬の副作用で脳が萎縮したのではと暗然としています。中年過ぎてからでもこのような例はありますでしょうか?

 

【 お名前 】:hana mizuki

 初めてお便りします。この記事を読ませていただいて涙を禁じえませんでした。私の息子は今28歳です。幼稚園の頃から幼い幼いと言われ続け、友達を作れない、勉強ができない、何を言っても心に響かない、全くゆうことを聞かない、お金を盗む、高校生になってからは携帯依存症と思われますが、月に100万以上つかい28歳になった今でも年に何回かは10万ほど滞納し、迷惑をかけられています。小さい頃から体罰を繰り返しました。私は優しく育てたかったのですが、周りの教育者はみな叩いてでもしつけなさいというばかりで、とても苦しみました。息子は喘息でアレルギー体質です。彼の子育てには今なお後悔と自責の念に押しつぶされそうです。息子さんの縮小版のように思われます。もし息子も同じ病気だとすれば発症したのがまだ幼い時期だったのではないでしょうか。誰もそのことが起きたことにも気づかず、息子を責めつづけたのではないかと思います。 当時の私は周りから責め続けられ、どうやっても躾けられない息子と死にたいと思っていました。夫も理解がなくすべてを私の責任にして文句や悪口しか言わなかったからです。当時は苦しみだけで今考えるとかわいそうなことをしたと公開だけが残っています。本当に良く頑張られましたね。息子さんはなんて幸せなんでしょう。こんな強いお父様に支えられて。私は私の体罰がますます息子を追い込んでいった罪の償いをしております。未だにおかなの苦労をさせられることの情けなさを罰として受け入れていますのでどんなにお辛いか言葉では証言できません。でも毎日毎日どのように生きてこられたのか、どんなに頑張ってこられたのかは本当に痛いように理解できます。少しでも多くの幸せに出会われますようにお祈りいたしております。

 

【 お名前 】:森 【 職 業 】:無職

私はは65歳の年金生活者です。 実は、5年ほど前、精神科の医者から、私は鬱病で私の妻は統合失調症と診断され夫婦で4年間、医者が指示する薬を飲む生活を続けていましたが、昨年の9月に私はネットの出会い系サイトに興味を持ち、そのサイトではサクラ達が金を搾取するために出鱈目なメールを送っているとは気付かず、4カ月の間に5000万円の全財産を使って破産状態のようになってしまいました。 それで、去年の11月からは精神科の病院に行く金もなくなって、私も妻も精神薬を飲めなくなったのですが、かといって私も妻も別に精神状態が悪くなるということもなく生活できてます。 貴方の記事を読んで思ったのは、もしかすると、昨年、私が常識と金銭管理能力を失って出会い系サイトにのめり込んで破産状態になってしまったのは、もしかしたら精神薬(抗鬱剤、安定剤など)の副作用で脳機能が狂ったためかも知れない?ということです。 貴方の奥さんが鬱病になられたのは、私も鬱病の経験があるので、奥さんにとって大変だったというのは理解できます。 また私の妻が統合失調症なので、精神病の家族を持つことが大変なことも理解できます。 ともかく、貴方が息子さんを大変愛されていて息子を治してやりたいと思っておられたことは私にも伝わりました。 私にも息子が一人いますが、息子にあなたほどの愛情を持っていないなと感じました。

 

【 お名前 】:寺澤 【 職 業 】:公務員

ブログ拝見。発達障害者のパニック行動に疑問を抱いています。昨年11月から続いて2件、安定剤が投与されたのちに凶暴性が出現し、措置入院になったケースを考えるうちにこちらのHPにたどり着きました。 家族ではないので、服薬が正確に確認できていませんが、1件目はリスパダール(9月より服用)、2件目は幼少時からルボックス、パキシル、リスパダールと変遷し、昨年春からエビリファイです。 医薬品の副作用は、医師の責任ですが、根本は認可する厚生省と製薬会社の癒着から始まるものだと考えます。ほとんどの医師は製薬会社の手先というのが私の考えです。 ご多忙中、ご意見お聞かせいただければ幸いです。

 

 【 お名前 】 【 職 業 】:主婦

 はじめまして、 症例ではないです。 私1960年生まれで、80年代に障害児にかかわる仕事をしていました。(東京の多摩、八王子など) HPを拝見し、自閉症、てんかんの病名を持っている子どもたちの行動特徴が、退行と名付けられている症状と同じであるとわかりました。 その子ども達は薬を処方されていました。 乳児や幼児の予防接種に添加されているチメロサールはご存知ですか。 自閉症を発症する原因と疑われアメリカでは訴訟も起きています。 特異な遺伝的な要因を除いて、発達障害も作られているのではと疑っています。 予防接種や3歳児検診などで発達障害にされるのではないかと。 3種混合ワクチンで脳性まひを発症した例は、実際目にしてきました。 本日、雅子様に関する心無い記事をネットで目にし、そうではないと思って検索するうちに、貴HPにたどり着きました。 非常に納得しましたが、あまりに過酷で心が痛みます。

 

【 お名前 】:成田 【 職 業 】:主婦

 吉村様の経験されたことと同じような経験をしています。 私の方は、30代の娘です。たまたま、昨日、拝見して、ただただ驚いています。娘の場合は、かなりの友人を失ってきました。ずっと、わけがわからず、昨日まで、過ごしてきました。助言がいただけたらと、メールさせていただきました。

 

 【 お名前 】:かなえ 【 職 業 】:主婦

はじめまして。 まだ全文読めていませんが、うちの息子(六年生)も二年前から全く、本当に全く同じ状況でした。激しい暴力、奇声、退行。こんなの、うちだけかと思っていました…。学校の先生、医者、児童相談所、誰も理解してくれず、いろんな限界をとうに越していました。激しく暴れるようになったのは精神科でもらった薬を飲み始めた後でした。 息子には、中2の姉と 3才になる弟がいます。弟が生まれた時が ちょうど3年生で…友達と溝ができてきた時と弟誕生と重なり…産後うつっぽかった私に全く余裕がなく、もう3年生なんだから何でも一人で出来るようになって、と 精神年齢の幼い息子に少し厳しくし始めたことがきっかけだと思っています。死にたい死にたいと言い出し、うちはマンション11階なのですが飛び降りる、と言い、段々エスカレートし、その時たまたま夏休みで…毎日毎日窓を開けて飛び降りるフリ、包丁くれと叫ぶ、実際振り回す息子がどうしようもなく精神科病棟に保護してもらったことが ことの始まりでした。七ヶ月、長い間入院してましたが まだ3年生で本当に寂しい思いをさせてしまったと、私は死ぬまで あの子を入院させてしまったことを悔やみ続けるでしょう。入院中に広汎性発達障害があると伝えられ、薬を飲み始めました。長い長い入院生活では 落ち着いて過ごし、退院後から 本当に毎日が地獄絵の様な生活が始まりました。赤ちゃんもいたので…怖かったです。暴力は常に私に向き、としお様が暴力は一番愛着がある人に向ku梔C蕕譴襦w)と書いてあったので、その部分は読んで涙が止まりませんでした。その言葉を信じたいです。実際、私は息子が本当に可愛くて…息子も私のことが大好きだったと思います。しかし、小さな頃から本当に育てにくい子、でした。たくさん怒りました。私も、山に行ったことあります。 息子は、退行が激しくなり、何も出来なくなり、重度知的障害だと診断され、日本では行き場を失い…今はアメリカの祖父母の所にいます。アメリカがいいみたいです。(私は国際結婚していて、ダンナがアメリカ人です)薬も…だいぶん抜けました。怒りの波はまだまだあります。大きな波が…。だけど退行は無くなりつつあります。学力も戻ってきました。(退行が激しかった時は、かけ算九九も忘れました。不思議でした。) もうすぐまた一緒に暮らします。嬉しいけど、正直こわいです。もうすぐ三歳のチビも、お姉ちゃんも やっと平和な日々を過ごせているけど…。私は…あの日々を思うと動悸がするし、怖くて怖くて堪らないです。息子の暴力を止める時、何度も息子を殺しかけました。最愛の息子を。くっきり、覚えているだろうと思います。夏にアメリカに会いに行った時、謝りましたが…いいよって言ってくれたけど…つらいです。 また書きます。

 

【 お名前 】:bunkataisi

 昨日警察立ち合いで入院する事になった義父の症状が「精神科薬の副作用」の記事を拝読して、将にこれではないかと思いました。 介護110番でいきさつを皆様に相談しながら幸い大事に至らず済んでいます。

 

【 お名前 】:筒井 【 職 業 】:大学生・短大生・専門学生

 『幼稚化 副作用』のキーワードでこのサイトに辿り着きました。この8年間がむしゃらに生きてきた私と全く同じ症状について、これほどまでに分析なされていて感動しています。 私は現在24歳女性です。16歳の時にある事件に巻き込まれ精神衰弱していたところを、精神科に運ばれ入院加療されました(診断名は解離性障害、後にPTSD)。もともと学力が高く東大志望でした。根っからの研究気質のおかげで当時の詳細な記録が約5年分日記に綴られています。事件直後の3日後から回らない頭で必死に今自分自身に起こっている現象を書き留めていました。 …赤ん坊になってしまった。感情がリセットされているようだ。最初は怒り、次に哀しみ、最近 愛情を感じるようになった。楽しいってよくわからん。…(7年前) …看護師のAさんのこと、今でも大好きだ。母のことを母親とはどうしても思えない。いちばん必要な時に愛情を注いでくれたのはAさんなんだ。Aさんが夢に出てきた翌日はなんとも幸せ…(4年前) …犬の世話、私の方が父よりずっと長い時間してるのに何故私になついてくれない?とずっと疑問だった。ようやくその疑問が解けた。私の身体には今まで犬並の感情すら流れていなかったのだ!私はヒトを含め全ての生き物が、私程度の感情しか持っていないと信じていた。アクションが起こればちょっと感情が動く。その程度。だから犬とは、いつも足を蹴とばして『遊んであげていた』。嫌がらせをすればビックリして反応を返してくれる。そんなんじゃなついてくれなくて当然。そしてこれが今までの私の(全ての生き物に対する)コミュニケーションだった。家族も大変だったろう。私、すごく嫌な奴だったろうな。…(4年前) …自分の障害に自分が気づくこと、自分の感情の起伏が小さなことに自分が気づくこと。ここに至るまでものすごい苦労だった。私の時間を返せ!!許せない!!…(4年前) と挙げればキリがありませんがこんな感じで、一人で黙々と向き合い少しずつ社会復帰していきました。家族には見放され、ほとんど顔を合わすことの無い日々が3年ほどありました。別に引きこもりというわけではなく、医学図書館で調べものをしたりして過ごした訳ですが(というと格好いいけど、アニメばかり観てる時期(しかもアンパンマンやポケモン)もありましたし、買い物依存症で貯金はすっからかんになりました)。生まれ変わった自分は、家族と心からの愛情で交流できません。昔からの友人とも。今は故郷とは遠く離れた地で新しい友人に囲まれ、知的障害や引きこもりの子供との交流ボランティアをしています。 将来はこの分野を研究するつもりです。しかし医学部の面接でこの体験談はタブーのようで、全部落とされてきました。今は薬学部3年ですが今年こそ面接無しの大学を受験し合格できるように頑張っています。こちらのサイトで、自分の胸に秘めていた思いが再び熱く燃え始めました。この感動を管理人さんにお伝えしたくて。 ありがとうございます。

 

【 お名前 】:ゆきこ  【 職 業 】:主婦

 私は去年の9月に10年間服用していた精神薬を断薬した者です。軽いうつ病と診断されたのですが最後は発達障害も診断されたりもしました。 まだ頭もあまり働かずブログとHP も一部しか読めていないのですが、私が今苦しんでいる事が書かれていたので何だかほっとしてメールを送ろうと思いました。 私も心は赤ん坊なんです。でもまわりの人は大人と思っているので、とても困っています。 私は母子家庭で子供が二人いて実家からも遠くに住んでいるので、赤ん坊なのに母親がいない感じで正直怖いです。 赤ん坊が子供を育てています。 赤ん坊である私を誰にも見せられず、本当の私を誰も知らない感じがして辛いです。 子供にも2年間位発達障害の薬を飲ませてしまいました。 精神科を許せません。 子供の命や人生を奪うのは 許されることではないです。 本当に初めて自分を理解してくれる人に出会った感覚で感謝しています。 そして誰にも理解してもらえないと思っていたので、世界中は、特に日本中に私と同じ気持ちで生きている人がたくさんいるだろうと思えて励みになりました。 これからゆっくりとブログとHP を拝見致します。 稚拙な文章で失礼しました。  

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