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これまでの研究の集大成

統合失調症は「治療」してはいけない

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第一部 副作用の記録


 2. 絶望の深い闇 発症〜1年目

2008年3月上旬
 祐樹君が「死にたい」とこぼすようになったことを寿子さんが気に病むようになり、病院に連れて行ってみようと言いだした。通っている病院で発達障害に関して薬で改善できるというチラシを見たらしい。事の深刻さを認識していなかった私は、病院に行く必要性があるほどだとは思わなかったので気が進まなかった。
 それでもなお、発達障害を治療することで学校でも家庭でも何か変わっていくのではないか、本人もこれ以上怒られたりするのはいやだから病院に行きたいと言っている、と寿子さんが強く言うので最終的には私が折れた。寿子さんが通っているKクリニックを受診し、知能、脳機能検査を受けることになった。
3月14日
 学校で何かの原因で悪くないのに注意を受け、すねてどこかに引きこもってしまった祐樹君を教師が無理やり引きずり出し、他の生徒がたくさんいる廊下を引きずって教室に連れ戻すという事件があった。
 学校から帰ってしばらくしてから思い切ったように一部始終を話し、明日は学校に行きたくないと言い出した。学校に行きたくないと言ったのは六年間を通して初めてのこと。心の傷が深かったようなので何も言わず休ませることした。
 また祐樹君がクラスの中で仲間はずれにされ、孤立していることを知っていながら有効な手立てを講じず、みんなの前で注意したり、叱ることを教師が日常的に繰り返していたことも話した。
 翌日学校に抗議に行った。いくら何でもあるまじき行為なのではないか。もう少しで卒業なのだからいやな思い出を作らないでほしいと訴えた。教師は何だかんだと言い訳はしていたが一応謝ってはくれた。
 私も感情的になってしまうことが多々あるので批判できる立場ではないが、教師がやっていいことには思えない。いくら私でもその心の傷は察するに余りある。
 担任には発達障害の可能性があることを伝え配慮をお願いしていたはずだった。
3月18日
 言うことを聞かないで宿題をせずにテレビを見ていたことを私が強く叱ったところ、目を大きく開いて失神する。呼吸が乱れ頭が熱くなる。あわてて抱きかかえて揺らしたり叩いたりする。水を飲ませて数分で回復するがしばらくとろんとした状態。10分後くらいには正常な状態に戻る。
 頭が真っ白になった。何が起きたのだろう、叱ることなど初めてではない。子どもが失神するほどのことを私はしてしまったのか?子ども相手に何をしているんだろう?後悔とともに初めての異常な状況に動揺が収まらない。
3月20日
 寿子さんが何かの注意したところ、とろんとした状態になって「ごめんなさいごめんなさい・・・」と繰り返し、声を掛けても反応しない状態になる。10分程度で回復するが、頭痛、発熱感を訴え、ピクッとするような反応がしばらく続く。どうしたのと聞いてみるがよくわからない様子。
3月21日
 お姉ちゃんとのけんかをきっかけに失神。この時私は居合わせなかったので状態はよくわからないが10分程度では回復したようだ。

注釈 PTSD(心的外傷後ストレス障害)
地震、水害などの自然災害、爆発事故や交通事故などの人為災害、犯罪被害、残虐行為、テロ、戦闘体験などの出来事に曝されたことによって、強い精神的衝撃を受けたことが原因で起こる後遺症。より日常の出来事として暴行障害事件、性暴力被害、あるいは虐待なども原因となる。脳に大きな負担がかかることによって非可逆的なダメージが生じ、フラッシュバックなどの再体験症状、出来事に関連するものを極力避けようとしたり、感情が麻痺するような回避/麻痺症状、睡眠障害や警戒心が異常に強くなる覚醒昂進症状などの症状が起きる。(人は傷つくとどうなるか・日本評論社を参考に文章化)

3月24日
 今日は小学校の卒業式。いつものように率先して引き受けた、代表で記念品を貰う役を前に、今まで見たこともない緊張の表情が見て取れる。「落ち着いて、落ち着いて」と小さな声をかけてみるものの失神が起きてしまうのではと気が気ではない。他の父兄からは緊張してるとほほえましく見えるのかも知れないが、どんな時でも緊張などする子ではなかったはずだ。
「記憶と注意力の一部に障害が見られる。忘れ物をする、集中できないなどの機能障害があり、出来ないことを怒ったり注意するのではなく周囲が忘れものをさせない工夫や集中させる工夫をすることが大切」とのこと、薬が必要なレベルではないでしょうと言われる。
 失神について私がPTSDではないかと訴えるが、「当てはまらない」と一笑される。お父さんが原因だとすれば日常的にお父さんへの恐怖感があるはずとのこと。ほっとしたような気持ちにもなる。失神の対策として不安を抑える抗てんかん・抗不安薬セレニカを処方される。母親のうつ病の治療薬として処方されていたものと同じなので、大して不安も抱かず夜一錠飲ませる。

注釈 ADD(注意欠陥障害)
ADHDのうち多動性が見られないもの。
注釈 LD(学習障害)
基本的には全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する又は推論する能力のうち特定のものの習得と使用に著しい困難を示す様々な状態を指すもの。(文部科学省資料より転載)

3月25日
 その日私は祐樹君が起きる前に近所のお葬式の手伝いがあり出かけていた。九時過ぎに寿子さんから祐樹君の様子がおかしいと電話があった。起き抜けに大声で鼻歌を歌い出し、友達のところへ遊びに行くから送って行けというのだという。いつも自転車で行っているので「自転車で行きなさい」というと「でも僕転ぶよ」などとおかしなことを言い出したらしい。あまりにも様子がおかしいので送っていったとのこと。
 私は目の前でその様子を見ていたわけではないのでそれ程気にも留めず、「薬の副作用かも知れないね、病院に電話して確認しておくように」と話して電話を切った。 夜になって家に戻ると思っていた以上に様子がおかしい。
 歌や鼻歌を大声で歌い、時々わけのわからない「うおー」とも「うわー」ともつかないような奇声をあげる。異常にハイな感じにも見える興奮状態。わがままが強く欲求を押さえられない。言うことを聞けず、思い通りにならないと腕や肩を噛んだり暴れたりする。「うるせえ」「死ね」など言葉使いがひどく悪い。たががはずれたような、酔っ払ったような、やさしい気持ちや良心が欠けたような状態。もちろん全て薬によって引き起こされた症状で前日までは絶対に無かったことだ。
 記憶や知識に問題は見られないように思う。薬の副作用と思われるので病院に連絡の上服用は中止した。 副作用をネットで調べると刺激、興奮など確認できる症状があった。
3月29日
 もう四日になるが副作用がまだ同じように続いている。おかしいと思いながらもだんだん良くなるのだろうと思っていた。
 春休みを利用し九州に家族旅行に出かける。二年ぶりの大きな旅行だ。今回の旅行は観光地や施設を回るのではなく乗馬やパラグライダーなど体験型の予定を組んだ。
 テレビゲームに異常に興奮し、うまくいかないと「コンピューターが壊れてる」とコントローラーを投げ出す。噛んだり叩いたり、奇声を出したり大声で歌や鼻歌を歌う、食べたいものを食べたいだけ食べ、コンビニではいくらだめだといっても買いたいものを次から次にレジに持って来る、お風呂や歯磨きを嫌がるなど異常な状態は続くものの、いつもの祐樹君の部分もあるような気がして何とか旅行できる状態ではある。飛行機が混んで席がばらばらになってしまい、一人で座るのが極端に不安そうなそぶりを見せた。
 何か起ったらと不安はあったが、お姉ちゃんと二人で阿蘇の乗馬クラブで行われる三泊四日の乗馬合宿に参加させる。担当者に発作の可能性などを説明して了承してもらう。ホースセラピーなども行っている所で「心配ありませんから」と言ってくれた。
 馬の世話から大草原での外乗まで子どもたちが飽きないプログラムが組んである。生き物は好きなようなのでゲームとは別の世界を体験してほしいと願った。予想よりかなり寒かったということを除けば天気も良く、広々とした阿蘇の風景はそれだけで何かを与えてくれそうだった。お姉ちゃんは自分より年下の子どもたちになじめず、寂しくて途中でリタイヤしたが祐樹君は最後まで参加する。お友達と楽しく交流できて乗馬も覚えが早く、夏休みにまた必ず来たいというほど楽しかったらしい。
 合宿の担当者から「自分で物事を決められないところがあるので意思をきちんと持って判断することを教えていった方が良いですよ」と言われる。そういえば「どうしたい?」と聞くと「どっちでもいいよ」という答えが多いような気もする。
 迎えに行った時に家族全員で外乗の体験をした。雄大な大草原を馬の背から見渡すこの上ない素敵な体験だった。祐樹君は駆け足が出来るようになっていた。
 パラグライダーは全員で初めて挑戦しその爽快さがたまらない体験となった。
 祐樹君の副作用が抜けないことを除けば、とても楽しく幸せな家族旅行だった。撮ってきた写真を整理していて、祐樹君の表情が以前とは明らかに違うことに気がついた。どこがどうとはうまく説明できないが表情が険しいような、目が違うような・・・どうしたというのだろう、副作用のせいとしか思えないが。

注釈 ホースセラピー
乗馬や馬の世話をする中で、ストレスによる心の病気や精神障害を癒すことを目的とするプログラム。

4月8日
 相変わらず噛んだりするし、わがままも強く、不安定で興奮気味にも見えるがとりあえず中学校に入学する。入学式にも出席したし、友達とも明るく接している。不安はあるが特に大きな問題は感じられない。第三者の前では極端なわがままは抑えられるようだ。 調子が思わしくない寿子さんと、祐樹君の症状に関して今後どうしたらいいかを話し合っている時に、寿子さんが感情的になって泣き出した。祐樹君が自分のことが原因でそういう状況になってしまったと思ったらしく「ごめんなさいごめんなさい・・・」と繰り返し、意識が薄れるような前と同じ症状が出てしまう。回復後頭痛を訴える。
 どうにも二人の関係は悪循環に陥っているように思う。お互いに足を引っ張り合って心の傷を深くしてしまうようだ。
 あまりにも副作用が長く続くので病院に問い合わせるが、そんなに長く続く副作用はあり得ないと相手にしてくれない。
4月10日
 気に入った様子の乗馬をやらせてみようと、隣県にある乗馬クラブに通わせることにする。嫌いな勉強よりは少しでも向いていることをさせて将来の選択肢を増やせればと思う。お金はかかるが、本人も楽しく興味の持てることだったら価値があるのではと考えた。最初行くまでは車に長い時間乗ることなどを嫌がって足をばたつかせ、まるで幼いだだっこのような表情を見せたが、行ってみると気に入ったようでまた行きたいと言う。
 カフェインを含む栄養ドリンク風炭酸飲料を飲んだ後(昼に飲んで夜寝るまで)異常にハイな興奮状態となる。こんなことは今まで無かった、何かがおかしい。
4月12日
 子犬を2匹貰ってくる。前に飼っていた犬が死んでからは面倒なのでもう飼わないつもりでいた。動物が好きな様子の祐樹君に何某かの癒しや慰めになってくれたらと願ってのこと。雑種だがとても気に入りかわいがってくれている。今度は猫が欲しいと言う。
4月14日
 私と将棋をしている時に、間違いをごまかしてもらえないことに腹を立てて異常な興奮状態になり、けいれんを起こしたような状態で失神する。呼吸の乱れを伴い回復まで10分程度かかる。直後は非常に疲れたような状態でとろんとしてはいるものの、回復してしまえば何でもない通常の状態に戻る。
4月16日
 食事の片づけをしないことを注意されたことによって興奮し失神する。
 今回は意識喪失時間が一番長く回復時も意識障害(一時的に少し暴れたり、わけのわからないことを言ったり)が残り、完全に回復をみないまま就寝。
4月17日
 昼頃まで眠る。
 とろんとした表情がなお見受けられるものの受け答えは日常的に可。
 かなりの迷いはあったものの、目の前の発作を見過ごすわけにもいかずKクリニック受診。発作を抑える目的で抗けいれん・抗不安薬リボトリールを処方され、病院ですぐに服用する。
 帰り道ソフトクリームを買いに立ち寄る。食べ終わる頃になって車の窓に頭をごつんごつんとぶつけ出す。ルームミラーでその様子を見ながらいい知れない胸騒ぎを覚える。
 帰宅後しばらくするとひどい錯乱状態になる。暴れる、叫ぶ、押さえようとすると暴力をふるう。前の薬と同様目的と全く逆の反応だ。副作用は格段にひどい。殺されるのではと思うような暴力をふるい、手のつけようのない状態が長時間続く。
 夜中の一時過ぎにようやく眠る。ぴくりぴくりと表情が動き、落ち着かない様子でぐっすりと眠っているような気はしないがとりあえずほっとする。薬を飲ませたことを後悔するが後の祭りでしかない。薬の副作用なのだから明日になれば収まるはず。
 リボトリールの副作用をネットで調べたところ、精神障害のある者が服用すると刺激興奮、錯乱状態を起こすとあった。精神障害の治療に使う薬に「精神障害のあるものが服用すると・・・」というのはどういうことなのだろう。まるでテレビで見たことのある覚せい剤による錯乱状態のようだ。祐樹君にとってはこの薬が覚せい剤だったということなのか?何でこんな薬を出したの?前の薬で副作用が出たことを訴えたのに何も考えてくれなかったの?医師への不信感が募る。
4月18日
 7時頃起床。昨晩に比べると症状は少し緩和されたようにも思える。今日は錯乱というよりは恐ろしい別人になったような感じがする。目が吊りあがり恐ろしい表情を見せ、殺されるのではと思うような暴力が続き、欲求が満たされないことがあると大暴れする。病院へ連れて行こうと車に乗せるが落ち着かない。私が運転するので寿子さんが押さえながら向うしかない。友達と遊びたいというのでそれは無理だと言うと「何でだめなんだよ!」と寿子さんの首を本気で絞めようとした。あわてて車を止めて引き離す。私がいなければあるいは祐樹君の力がもう少し強かったら殺されていてもおかしくなかった。もちろん薬を飲むまでは絶対にそんなことをするような子ではなかった。ただただ薬に弄ばされているだけなのだ。脳に作用する薬の恐ろしさを実感させられた。
 病院へ向う間にも走っている車のドアを開けようとするなど手のつけられない状態が続く。やっとの思いで病院にたどりつくが、医師の前では緊張するからなのかとりあえず落ち着いているようにしか見えない。医師に症状を説明すると悪いことを言いつけられているような意識が働くようで、診察後車に戻ると人が変わったように強い暴力をふるう。
 医師は「副作用は薬の効果がなくなれば出なくなりますから大丈夫です。安定剤を出しますのでひどい時は飲ませてください」と言う。特に謝罪の言葉はない。「どうしても様子がおかしければ医大に行ってください」という。その無責任な対応にあきれる。安定剤ジプレキササイディスを処方され12時服用、14時に睡眠状態となる。不安が大きいので念の為医大の予約を取る。無理を承知で一部始終を話し何とか今日見てもらうことはできないかと食い下がったが、予約を取る以外の対応はしてもらえなかった。医師への説明のため症状の様子などの記録を始めることにする。
4月19日
 8時頃起床 昨日と同様の症状が出る。どうしても友達と遊びたいと暴れるので仕方なく連れて行き、何かあったらすぐに呼ぶように友達に告げて、遊んでいる間車の中で待機していた。友達との間では極端に悪い症状は出なかったようでとりあえず何事もなかった。
午後1時に安定剤を使用。薬が効いて時々いねむり。夜10時就寝。
4月20日
 10時頃起床。ひどい症状はやや落ち着き日常的な生活は可能となるが、欲求を抑えられなかったり一時的に暴力的になったり薬の影響が残る。ほとんどゲームをやって過ごし、異常に興奮したり、汚い言葉を叫びながらいくら注意してもやめない。一時的にストレスが強くかかった時に発作的に暴力をふるう。安定剤を使用。
 錯乱状態というのは脳に死ぬよりも恐ろしい恐怖が訪れる状態なのだと思う。まだ未成長の脳にそれはあまりにも過酷な出来事だったに違いない。錯乱状態の恐怖、行動の記憶は潜在、顕在の記憶に残るらしく、それを現実として受け止められないのは無理からぬことなのだろう。どうして12歳の少年にこんな体験をさせなければならなかったのか。医師はそのことを本当にわかっているのだろうか。私は発作が起こらないようにして欲しいと言っただけなのに。
 昨日から安定剤は使用していない<欲求を抑えられなかったり一時的に暴力的になったり薬の影響が残る。どうして副作用が収まらないのだろう、薬はもう抜けているはずなのに。 明日はようやく医大で診てもらえる。診察でストレスがかからぬよう夜安定剤を半分飲ませる。 4月24日
 医大受診。何の疑問にも答えてくれない。PTSDの可能性を訴えるがここでも否定される。薬の副作用だと懸命に訴えるが聞く耳を持たず、副作用なら数日で収まりますと言うのみ。まあ念の為検査してみましょうと検査の予約を取ることしかできない。これほど大変な思いをしているのに何故医師は助けてくれないのだろう?底知れぬ深い闇へ突き落された思いがする。これからどうなってしまうのだろう。
 病院のストレスからか、寝る間際暴力をふるう。暴力をふるっている間は何となく声をかけても聞こえていないように思える。手がつけられない状態なので安定剤を半分飲ませる。最後は毛布に包まってごめんなさいごめんなさいと繰り返し、とろんとなって1時過ぎに就寝。
4月25日
 昼頃起床。あまり良い状態でない。時々暴力をふるう。夜8時30分安定剤を半分飲ませる。
 11時頃より暴力が手をつけられない状態となる。まるで恐ろしい別人のようだ。初めは何となくじゃれついてくるような感じで軽く叩くような仕草なのだが、次第に馬乗りになり下あごを突き出し、目を吊り上げ、うすら笑いを浮かべてこぶしで殴りかかって来る。ある程度は我慢して好きなようにさせるしかない。声をかけても反応することもなく言葉を発することもない、不気味で恐ろしいとしか言いようがない。やめさせようとすると興奮し、興奮状態が極限に達した時呼吸が止まった。驚いて背中を叩いて1、2分程度で戻ったが、何か気管に詰まってしまうのか、呼吸をする自律神経がおかしくなるのか、誰かがいない時に起きたらと思うと不安でならない。とりあえずはこれで収まったが頭痛を訴える。
 でも言葉の意味が気になって仕方が無い、まるで別れの挨拶のようではないか。
 九時頃起床。状態は昨日よりはいいようだがわがままが強い。言うことを聞かないと時々暴力をふるう。夕方5時30分安定剤を半分飲ませる。夜中12時頃より暴力が手をつけられない状態となる。三日連続で毎晩夕食後、あるいは眠くなると同じ現象が起きるような気がする。
4月27日
 九時頃起床。比較的落ち着いた状態。時々暴力的になったりするが瞬間的で終わる。安定剤なし。夜11時頃から暴力が手のつけられない状態になる。呼吸が激しくなって呼吸が止まり、背中をたたいて戻る。昨日に比べ短時間で収まる。1時頃就寝。
4月28日
 強いわがままや、両親の手や体を強く噛むことは続いているがまずまずの状態。
 良心ややさしい気持ちが欠けた状態で、悪いものだけが表面に出ているように見える。不安で医大の検査を待つことが出来ず、Sクリニックを受診し脳波検査を行う。
 検査結果は問題なく一旦は医大の医師と同じような話をされる。次第にまるで家庭内暴力のような話になり、さすがに頭に来て「もう結構です!」と飛び出した。どうして薬の副作用だと言っているのに誰も聞く耳を持たないんだ。医者のくせにどうして患者の話を聞かないんだ。怒りと空しさと不安で気が狂いそうだ。
 もう一軒病院を訪ねるも同じような対応で終始する。
5月1日
 症状はやや落ち着きを見せ、嫌がるものの「一時間だけでもいいから」と説き伏せて学校に復帰させる。あまり休ませれば行きにくくなってしまうのは明らかで、何とか繋ぎ止めておきたかった。自分で登校することは難しいので車で送迎する。登校途中で他の生徒を見つけると見えないように隠れようとする。こんなことは今まで無かった。どちらかといえば会う人会う人に手を振って行きそうな性格だったはずなのに。「何も悪いことはしていないんだから隠れる必要は無いんだよ」と言ってみるもののその表情に不安を感じる。連絡ノートや学習ノートに一切文字は記入されなくなった。
 強いわがままや、両親の手や体を強く噛むことは続いているが、第三者の前ではある程度抑制が効く様子が見られ日常生活は可能なようだ。しかし、学校を嫌がるのを始め、お風呂にも入らない、歯磨きもしない、着替えもできない、食べたいものを際限なく食べる・・・今までできていたすべてのことを極端に嫌がり、できなくなってしまっていて、欲望をコントロールできない状態。最初の薬の副作用がどうしようもなくひどくなった感じだ。いったい何が起こっているのだろう。
 どうしてもゲーム機を買えと言って、あまりにも暴れるので仕方なく買いに行く。別のゲーム機を三月に買ったばかりなのにどうして買わなければいけないのだろう。
 Sクリニックから脳波に異常が見つかったとの連絡があり、医大で精密検査をするように、今度何かあったら救急車を呼ぶようにと言われる。内容は特に説明は無かったが、安心したような不安になったような不思議な気持ちだ。
5月3日
 副作用の発症以来、寿子さんの精神状態が日増しに悪くなっていく。もともとうつ病を薬で安定させていたに過ぎないのだから、これだけの心労が続けば無理もない。「祐くんを殺して私も死ぬ」と何かある度に口にする。私でさえ心も体も疲れきっている。一家心中という言葉さえ浮かんでくる。
 怒ったり注意することは避けなければならないと思っているのだが、寿子さんが「このままでは悪い子になってしまう」とあまりにもこぼすので、仕方なく態度の悪さを静かに注意したところ錯乱状態になる。頭を激しく振り叫び声をあげる。その後暴れ、押さえようとすると暴力をふるう。30分程度でとろんとして就寝。
5月4日
 夕食後突然暴力をふるい始める。昨日のことでまたスイッチが入ってしまったようだ。約一時間手のつけられない状態。今度何かあったら救急車を呼ぶようにとSクリニックの医師に言われたので救急車を呼ぶ。救急車に乗る頃には落ち着きを取り戻す。ベッドに乗せられたまま職員の前でゲームをしている状態で、不思議なことに第三者の前ではおかしな状態は見られない。まるで私たちの狂言のようだ。
 医大に連絡するも来ても何も処置できないとのことで断念。救急車なら医大でも受け入れてくれるとSクリニックの医師は言ったのに。
5月5日
 久しぶりに乗馬に行く。嫌がるもののなんとか説き伏せて行かせる。乗馬からの帰り道、6時30分頃車の中でゲームが壊れたことに端を発しおかしな状態になる。奇声を発し、ろれつが回らないような頭がおかしくなったとしか思えないような状態が長時間続く。病院に連れて行こうとするが、暴力をふるって手のつけられない状態になってしまう。10時頃医大に連絡をとるも昨日と同じ答え。別な病院を紹介され連絡すると医大に話をするので医大に行ってくださいと言われる。
 車で出かけるが途中呼吸が何度も止まる。背中をたたいてどうにか戻るが怖くて仕方ないので救急車を呼ぶ。救急車に乗る頃にはまた普通の状態に戻る。薬を飲んだ直後を除けば3時間以上に及ぶ最も長い異常状態だった。
 医大で診察を受けるも今の状態では何の検査も処置もできないとのこと。いくら何を訴えても取り合ってくれない。第三者の前では緊張が働くからなのだろうか、医師との受け答えもきちんと出来て何も悪いところはないようにしか見えない。
 どうしてこんなに苦しんでいるのに誰も助けてくれないのか。もう一家心中するしかないとさえ考えているのに。病院は何のためにあるのだろう。
5月6日
 ストレスに弱い不安定な状態が続き、行動や言動に注意しないと錯乱や暴力、意識を失ったり呼吸が止まったりする事態になりかねないことから、腫れものにさわるような状態の生活が続く。わがままも極力聞いて、できるだけストレスを与えないよう注意や強制をしないようにする。わがままな息子を甘やかしているだけという見方をされても仕方ないが、気が狂ったような状態になるたび症状が悪化するような恐怖に襲われて、とても教育など考えられる状態ではない。
 わがままが強く両親の手や体を強く噛むなどの症状が続く一方で、だっこやおんぶを要求したりする。大きい体をだっこするのは大変だが言うこと聞くしかない。何が起きているのか理解できない。暴力は起きずに11時就寝。
 耳かきをしながら眠るのが日課になっている。何となく心地良いような眠くなるような気がするのだろうか。また今日も暴力が起きるのかという緊張の毎日。お願いだからこのまま眠ってくれ、と祈りながら耳かきをする。何も起こらずそのまま眠ってしまうと、ほっとする安堵感とそれまでの緊張の疲労感がどっと襲ってくる。
5月7日
 病院で相手にしてもらえないので県の心の病気の相談室を訪ねてみる。話はよく聞いてくれたが結局は医大が最も詳しいという結論でしかなかった。
 ずいぶん仕事も穴をあけてしまった。仕事どころではないので何とか従業員にやりくりしてもらってしのいだが、サラリーマンならとうに首だろう。自営業で良かったと思うしかない。
5月10日
 夜を中心に強いわがままや、両親の手や体を強く噛む、叩く、奇声を発するなど不安定な状況が続くが、連続しての暴力や気の狂ったような状態はここ数日見られない。
 Sクリニックに脳波検査の結果を取りに行く。赤ん坊の脳波が出ているという、それ以上の説明は無い。意味のわからぬまま帰宅。
5月11日
 日中はまずまず安定しているが、夜になって状態は悪くなる。連続しての暴力や気の狂ったような状態は見られないがここ数日では一番悪い。強く噛むので痛いと声を出すと、ごめんなさいと叫んで呼吸が止まってしまうことを何度か繰り返す。
5月13日
 医大受診。脳波検査。異常なしとのこと。Sクリニックの脳波検査の結果も見るが、「大丈夫です、こういう脳波は出ることがありますから」と意に介さない様子。
 「解離性障害の可能性がある」とのこと???何を言っているのだろう、薬の副作用なのにと腹立たしい思いで病院を出る。
 祐樹君の好きな回転すし店で昼食を取ろうとするがキーホルダーが欲しいとだだをこね、だめだと言うと怒って店から飛び出してしばらく戻らなかった。戻ってくるまで車でぼーとしながら待った。何でこんなことになってしまったんだろう。
 午後Sクリニック受診。医大の診察の報告をするが何の進展もなし。
 夜になって医大で言われた「解離性障害」という言葉がふと気になってネットで調べて見る。二回目の薬を飲んでからの症状はほぼ一致する。しかし一度目の薬を飲んでからの症状や説明のつかないことがたくさんある。それに何故「解離性障害」が発症したのか?副作用との因果関係は?わからないことばかりだ。

注釈 解離性障害
強いストレスによるダメージを避けるための脳の防衛反応で、記憶が部分的に欠落する解離性健忘、それまでの生活の場から突然姿を消して放浪しその間の記憶が無い解離性遁走、自分が存在しないような自分の体で無いような感覚がする離人症障害、一人の体に二つ以上の人格が存在して入れ替わる解離性同一障害などの精神障害の総称。(わかりやすい解離性障害・星和書店を参考に文章化)

5月18日
 ショッピングセンターに買い物に行く。わがままを言ってまた別のゲーム機を買う。怒るわけにもいかず、だめと言っても言うことは聞かない。言うことを聞いてあげないと怒ってどこかに行ってしまう。
 キャッチボールをしたいからグローブが欲しいという。薬を飲む前から考えても初めての要求だ。ゲームと違ってだめだとは言えない。なるべく安いものを選んで買う。
 翌日は「お金たくさん使ってごめんなさい」と言うような面も見せるようになる。
5月21日
 この間わがままが強く、怒りっぽく、噛む癖、おんぶだっこは続くが概ね良好な状態。
 医大受診。解離性(同一)障害の説明を受ける。原因に関しては「もともと精神障害があって脳の防衛反応が薬によって促進されたものだろう、起こるべくして起こったもの」との説明。呼吸が止まるのは憤怒失神と呼ばれる「赤ん坊がわがままを通そうとするような時に起きる反応」とのことで心配はないとのこと。解離性障害の発作は眠くなったりすると起こりやすくなるらしく、夕食後に発作が集中するのはそのせいらしい。暴力が私に集中するのは虐待の恨みとかではなく一番愛着のある人間に向けられるということなのだという。
 やっと病気の正体は掴めそうだが余計に疑問だらけになってしまった。「赤ん坊の病気」がなぜ起きるのかという問いには明確な答えは得られなかった。Sクリニックの脳波検査でも出てきた「赤ん坊」という言葉、中学生なのにどうしてなのだろう。確かに赤ん坊になったような気もするが・・・。
 その他の疑問にも明確な答えは無かった。

注釈 憤怒失神(憤怒痙攣、泣き入りひきつけ)
生後6か月から3歳くらいまでの乳幼児が、激しく泣き始めた時にひきつけをおこすもの。自分の思うようにならなかった時や強い不快感、痛みなどを感じた時に起こる。原因はよくわかっていないが、不快や痛みなどの刺激に未熟な脳が敏感に反応して呼吸が止まり、脳の酸素が欠乏することで起こると考えられている。成長とともに発症しなくなる。(赤ちゃんと子どもの医学事典・ナツメ社を参考に文章化)

5月27日
 学校行事で登山があった。思ったよりもすんなりと参加したが、疲れたせいか調子が悪い。夜噛んだことに痛いと反応したら怒って居間から逃げ出し、ふとんに包まって「ごめんなさいごめんなさい」と繰り返し意識喪失状態になる。回復後もなかなか普通の状態に戻らぬまま就寝。
5月28日
 医大受診。日中も強く噛んだり、かなり怒りっぽく調子が悪い。カウンセリング(プレイセラピー)を始める。PTSDの症状に脳の萎縮というのがあったのでその可能性も聞いてみるが「検査してみないと何とも言えないが可能性は低いでしょう、【退行】と考えるのが相当」とのこと。
 強いショックを受けると脳の防衛反応によって、記憶には何の問題もないが感情が赤ん坊に戻ってしまうという症状だという。一時的な症状が一般的だが、祐樹君の場合は元に戻らない非可逆的現象で、一度起こってしまえばもう一度赤ん坊からやり直すしかないという。これといって治療法は無く、12年はかからないと思うが感情が成長するのを待つより方法が無いという。
 赤ん坊になってしまった。そう考えると全ての症状に納得がいく。最初の薬で起きたことも退行と考えれば説明がつく。頭が真っ白になってしまった。いつか治るもの、いつか元に戻るものと思って毎日待ち続けてきた末のこの結果をどう受け止めればいいのだろう。12年を始めからやり直し・・・それってどういうこと?そんなバカなことって本当に世の中にあるの?12歳の祐樹君にはもう永久に会えない?うそだよね?ここにいるのは誰?同じ記憶と体を持った別人?祐樹君は死んだの?同じ言葉が頭の中をいつまでもぐるぐる回っている。
 最初からわかっていればもっと適切な対応ができたろうにと悔やまれる。わからないこととはいえ、随分無理をさせてしまった。悪い子、おかしな子になってしまったと悲しんだり、注意したりしたことでどれほど傷つけてしまっただろう。
 これまで何が起こっているかわからず何件もの精神科を訪ねた。的外れのことを言われたり、考えすぎと笑われたり。なぜ精神科の専門医が解離性障害も退行も見抜けないのだろう。医者って何なんだろうと思ってしまう。こんなに長い間苦しまなければならなかった理由はどこにあるのだろう。
 解離性障害からの回復の過程で退行が起こることもあるのだという。しかし一度目の薬での症状は説明がつかない。帰ってからネットで調べてみたが非可逆的な退行については症例も関連事項も何も検索できない、解離性障害はいくらでも出てきたのにどうしてなのだろう。混乱して収拾がつかない頭に新たな疑問がわいてきた。
6月3日
 熱を出して学校を休む。この間学校には休みがちながらも二時間ないしは三時間程度行かせていた。行きたくはないようだが、何とかして繋いでいるうちに成長してくれないものかと不安ながらも送迎している。
 頭の整理はなかなか出来ない。いずれにしてもきっかけを作ってしまったのは私と小学校の教師には間違いない。大切なはずの息子の将来をめちゃくちゃにしてしまった罪の意識がどこまでも追いかけてくる。来る日も来る日も自分を責め続け、祐樹君の寝顔に毎日ごめんねと言い続ける。
 早くに父を亡くした私は父親という存在に憧れ、理想の父親を目指してきたはずなのに、どこで間違えてしまったのだろう。お姉ちゃんとあまりにも違う子どもだったから?理想の息子と違ったから?発達障害を理解できなかったから?どうして?
 虐待の本に虐待を受けた親は子供を虐待すると書いてあるが、私は虐待された覚えはない。ストレスが多いわけでもないと思うし、何も思い当たらない。強いて言えば母親に愛されたという記憶は無く、今では母親とも妹とも絶縁状態にあるということくらいだが、私の精神状態に影響を及ぼしているとは思えない。
 寿子さんのうつ病の状態はかなり悪い。夜になってアルコールと薬が重なったところにストレスがかかると「死にたい、死にたい」と別人のようになって言い出すようになる。解離性障害のようにも思えるがストレスによるうつ病の発作のようなものらしい。この状態の間に二階の窓から飛び降りようとしたり、包丁を持ち出したり、部屋中に落書きしたりする。この時の記憶は無いらしい。
 そんな調子の悪いお母さんに、その時だけではあるが「大丈夫だよ、生きていればいいことがあるから」などと優しい言葉をかけてあげることができるようにもなっている。噛む癖、わがまま、だっこおんぶは続いている。夕食後に解離性障害の発作が現れそうな雰囲気になるがそのまま就寝。
6月4日
 医大受診。薬で起きた症状なのだと一生懸命説明するが、医師はどうしてもそれを認めたくない様子。起こるべきことが早く起きただけのことと取り合わない。精神障害のある子供にこの薬を出せば大変なことになると、どうして製薬会社に届けてくれないのだろう。こうしている間にも同じ不幸な子どもが生まれているに違いないのに。本当の事を言っているだけなのにまるで狂言でも聞いているようなそぶり。他の疑問をぶつけても納得のいく答えは返ってこない、不信感が募る。少し自分で調べてみようと思って本を探すことにする。
 時々ベッドの上で「キー」と声を出して体を揺らすような症状が出る。何かが脳を駆け巡るのだろうか。調子は良い方。寿子さんの調子は悪い。
 10日まで熱が続き学校を休む。毎朝学校のことを気にするが、行きたくないから確認していると本人は言っている。時々噛むし怒りっぽいところはあるものの、概ね調子は良い方だろうか。ちょっと注意をするとキレたような状態になり大騒ぎをするものの、時間が経つと収まるようになる。風邪は長引いて悪い。久しぶりに自転車に乗ってみるがひどく疲れた様子。寿子さんはやや回復。
 家ではごろごろDVDを見るだけで何をする気力もない様子。機嫌は悪いわけではないがちょっとしたことで怒り出す。
6月15日
 乗馬に行くのをいやがる。注意するが行くとは言わない。三週連続で休む。来週は必ず行くと約束する。やはり無理なのだろうかとは思いながらもお金のこともあるし、辞めさせればそれで終わってしまうような気もして決心がつかない。
 父の日にかたもみ券を作ってくれるなどやさしい面も出てきた。
 仮面ライダーのおもちゃを買う。何で今更と思うが仕方が無いと言い聞かせる。公園に行って一緒に遊ぶ。祐樹君の笑顔が見られるなら何でもしようと思う。
6月15日
 一番行きたくないのは学校、二番目は乗馬だそう。どっちも楽しみにしていたはずなのにと思うとやりきれない思いにさせられる。
 ゲームを寝る時間過ぎてもやっている。いくら注意してもやめてくれない。11時半過ぎに寝る。今度約束を破ったらゲームもDVDもなしだよと約束。何度こんな約束をして破られるのだろう。
6月18日
 MRI検査 異常は見られないとのこと。
 翔君という年上の友達から、ゲームを買ってやるから後で倍にしてお金を返せ、というような話に乗せられて私の財布からお金を持ち出した。まだ善悪の判断がつかないのだろう。怒ることも出来ないので、ベッドの上で後から抱きながら「何かお父さんに話さなければならないことがあるよね」と切り出した。最初はとぼけていたが事の詳細を話してくれた。複数の友達からお金を要求されていたらしく、黙っているわけにもいかないので学校に相談する。以前から素行が気になり、快く思っていなかった翔君たちとの縁も切れそうでほっとする。
 この症状が現れても医師はPTSDを否定している。「PTSDは事故や戦争で起きるもので」と医師は笑ったが虐待を扱う本では必ずPTSDが出てくる。発達障害の12歳の少年には私や教師の行動や言動が、事故や戦争と同じレベルで心を破壊する出来事だったということが、医師には理解してもらえなかった。子どものPTSDの症状はかなり子どものPTSDの症状は複雑で大人の診断基準を安易に当てはめられないという医師の意見もある。
 噛むことは少なくなったが、おんぶやだっこは続く。学校には行きたがらず時々休み、気力はない。お風呂に入る約束も11時に寝る約束もほぼ守れるようにはなった。いやいやながらお風呂には入るものの、自分で洗わないので私と大差ない大きな体を洗ってあげなければならない。仕方ないと思ってはいてもやりきれない思いがこみ上げる。歯磨きもしないのでやってあげるしかない。際限なく食べたいものを食べ続けているので、体重がどんどん増えている。どうしたものだろう。
 こたつや脚立などを使って寝室に基地をつくりその中で遊んで寝る。寝る場所がなくなって困ってしまうが片付けることを認めない。毛布に包まって「僕はどこにいる?」と探させたり、狭い家の中でかくれんぼをしたりする。どれもこれも幼児の遊びなのだが、これに笑顔で付き合わなくてはならない。若いわけではないし、仕事も山積みだし、何よりこの後に及んでもう一度繰り返さなければならないという悲しみは疲労感を倍増させる。
 数日前に寿子さんが仕入れの仕事で東京に行くのについて行った。二人で過ごすことに不安もあったが行かせてみることにした。仕事も面白がって手伝ってくれて何も起こらずまずまずの状態だったようだ。
7月2日
 医大受診。特に新たな展開は無い。カウンセリングは絵を描いたり、折り紙をしたり、簡単なゲームをしたりして心の中を読み取っていくものらしい。祐樹君は嫌がっている様子だ。
 日中から興奮状態でやや暴力的。夜寝る間際に解離性障害の発作が起きる。暴力は無いものの無言で声をかけても反応しない状態になる。12時就寝。昨日のストレスか、学校や病院のストレスかは不明。明日は水泳があるので休みたいという、どうも太り気味なのが気になっているらしく、いいよというと安心した様子。回復後久しぶりに頭が痛いという。
 解離性障害の発作は前触れも原因も無く突然始まる。フラッシュバック発作はきっかけがあるという違いがあり症状も全く違う。
 いろいろと本を取り寄せて調べてみた。PTSDなどの精神障害の治療法としては向精神薬や抗不安薬の投与が一番有効とされているらしく、大きな間違いがあったわけでは無いようだ。祐樹君の体質が合わなかったしか考えられない。しかし副作用の症例も多いらしく、どちらにしても脳に作用するかなり怖い部分を持った薬のようだ。
7月3日
 昨日の発作をきっかけに、少しづつ回復していた退行が戻ってしまった感じがする。一月分くらい戻った感じだろうか。昨日と同じような不安定な状態。学校に行かないでいいと言った寝る間際の記憶はない模様。お金をあまり使えないということはわかってきているような所もあるが、お風呂や就寝時間の言うことは聞かない。1時頃寝る。
7月4日
 家の中でごろごろしているだけなので、少しでも外に出そうとキャッチボールに誘う。毎日のように誘ってはいるが気が向いたときだけ付き合ってくれる。犬の散歩も時々はしてくれる。なるべく運動不足にならないよう仕掛けるのだが、なかなかその気にはならないようだ。
 犬に対してかなり乱暴なことをする。殺したらすっきりするのにというようなことも言う。ぞっとするが仕方のないことと思うようにする。幼児が虫を殺したりするのと同じ感覚なのではないだろうかとも思う。かわいいという気持ちもあるようなのだが、まだ愛情が育たないのだろう。あるいは潜在記憶の中にある心の傷が何らかの影響を与えているのかもしれない。
 最初の薬の退行に比べ度合いが大きい気がする。精神障害の本に解離性障害の一症状としての記述の中で「三歳が原点で退行はそこに戻る」とあった。状況は全く違うけれど最初の薬の時はもしかしたらそうだったとも思える。しかし錯乱以降はもっと戻ってしまっている、というよりは感情が全て〇歳にリセットされたと言った方がいいかもしれない。
 退行によって心の傷は顕在記憶の中からは全て消えたようだ。もちろん怒られたとかいう一般記憶は消えたわけではないが、それをたどってみても動揺する様子は全くなく、何の感情も湧かないようだ。爪噛みも夜を怖がるようなこともなくなった。しかし潜在記憶の中にはトラウマとして残っていて、似たようなストレスがかかるとフラッシュバック発作を引き起こすのだと思われる。
 だが、よく考えると愛情を受けた記憶も消えていることにならないだろうか。私は四六時中怒っていたわけではない。一生懸命時間を作ってたくさん遊んできたし、普通の父親に比べればはるかに多くの時間を一緒に過ごした。楽しかった、愛された、幸せだったというその感情の記憶が全て消えてしまった可能性は高く、その空しさはどうしようもない大きさで心に覆いかぶさってくる。もう一度やり直せばいいんだ、一からやり直すチャンスを与えられたんだ。といくら思い込もうとしてもやりきれないものがこみ上げてくる。
7月5日
 昨日と同じような状態で家でごろごろ。外に連れ出そうと誘うが映画にも遊びにも行かない。乗馬もやめるという。今日も暴力的で寿子さんが過敏に反応し家を飛び出してしまう。困ったものだ。
7月13日
 どうも学校の居心地が良くないようなので学校に行かせることは断念する。無理させるよりもストレスを避けて回復を優先させようと思う。これで行かなくなってしまうかも知れないがそれはそれで仕方がない。赤ん坊が中学校に行って楽しいはずがあるわけないのだから最初から無理だったのだ。
 乗馬に行く。あまり行きたがらないが、学校に行かないのだからと説得して行かせる。行けばそれなりに楽しんでいる様子。ポロシャツと帽子をもらったことをみんなと同じになったとことのほか喜んでいる。しかし、人に対して緊張するストレスなのだろうか、帰宅すると少し乱暴でわがままが強く興奮気味な感じがする。
 ローラースケートを始める。お姉ちゃんに負けたくないと転んでも泣いても止めようとしない。最近にないものを見た感じがする。
7月25日
 寿子さんの状態がかなり悪いので職場や祐樹君との距離を取るべく、しばらくホテルに避難することにする。いつまでもホテルというわけにも行かないのでアパートを探し始める。
7月30日
 キャンプに行く。それほど望んでいるわけでもないが少しでも外に連れ出そうという努力。行ってみればそれなりに楽しそう。帰りに乗馬に行くが風邪をひいているせいもあってか行きたくなさそうな感じ。無理を言って行かせてみるが乗馬中もやる気が無かったようだ。
 医大受診、何も進展は無い。夜一時的に解離状態となる。頭を壁に打ち付ける、ゲームを発売時間に買いたいというわがままが発端のようで記憶は無い様子。また病院の日で病院が原因なのかもしれない。前ほどはひどくない感じもするが退行の症状が戻ってしまう。表情が悪く乱暴。病院はしばらく私だけが通うことにしよう。
7月31日
 知人が家族で遊びに来る。知人の子供の達也君とは以前から相性が良く、一日一緒に遊んでとても楽しかったよう。祐樹君は今までと同じつもりで遊んでいるようだが、達也君や親はそのおかしな状態に違和感を覚えたに違いない。 
8月2日
 寿子さんの避難しているホテルに泊まりたいと言う。避難している意味が無いが言うことを聞かない。少し乱暴な様子だが何とかなっている感じだ。自分でお風呂にも入り、歯磨きもし、自分から言い出して自転車でコンビニに出かけたりしたようだ。ちょっと驚いたが続くものではないと思う。  スポーツセンターで遊ぶ。幼児用の遊具で遊んでいる。
 乗馬に行く。行きたくないとこの日初めて一度も言わなかった。それなりに楽しかったようだ。
 車で四十分ほどの所にアパートを借りて寿子さんをしばらく避難させることにする。お金がかかるが死ぬよりはいいと考えるしかない。ついでに受験の迫るお姉ちゃんも勉強の時間が取れるよう一緒に暮らすことにする。
8月8日
 同級生の哲君のところへ遊びに行く。夜寝る間際、何度も強く噛んでくる状態になる。長くはないが解離状態のようだ。
すぐに正気には戻るものの乱暴な感じで間もなく就寝。何か原因があるのだろうか、哲君の所で何かあったのだろうか。病院に行った時を除けば数ヶ月ぶりと思われる。また回復した分が戻ってしまうのだろうか。
 8月9日
 朝起きた感じはそう悪くは感じない。昨晩のことに関して尋ねてみるが答えない。哲君が遊びに来る。やはり少し退行が戻ってしまったようだ。三日くらいは乱暴な感じ。一週間くらいは噛む状態が続く。
8月18日
 祐樹君と二人で旅行に行く。もともと祐樹君が少しまともな頃に必ず行きたいと言っていた夏の乗馬合宿の計画だった。もっと早く回復するようなつもりでいて、参加させてあげたくてぎりぎりまでキャンセル出来ずにいた。結局合宿は行かないという結論でキャンセルするしかなかったが、飛行機などはキャンセル料がかかってしまうので判断できないまま、ずるずると目的の無い夏休みの旅行になってしまった。
 あれほど合宿に行きたがっていたのにと思うとやりきれない思いがこみ上げてくる。目的地も遊園地巡りくらいしかあてがない。ハイキングなども組み込んではみたが、行きたくないといって車の中でゲームをして待っていることしか出来ない。どうしようもなく幼くわがままが強い。自分はこんなところまで来て何をしているんだろう、何のためにお金を使っているんだろうという思いがつい表情に出てしまう。赤ん坊なんだ、仕方がないんだとはわかっていてもつい言い方がきつくなってしまい、フラッシュバック発作や憤怒失神を幾度か起こした。来なければよかったと後悔するが何もかも仕方がない。すべてあきらめる以外に方法は無いのだろう。
 遊園地のスケートリンクでスケートを気に入って二時間以上続ける。何も集中することがないのにちょっと驚いた。ローラースケートにしてもスケートにいても熱中度が高い。
8月26日
 学校が始まるがいろいろ理由をつけて行かない。学校に行かないと何が困るかとか、普通の中学校でついて行けないのならフリースクールという選択肢もある、というようなことを話してみるが皆と同じでないと嫌だと言って少し暴れる。
 一日中少し乱暴な感じで、夜になって短時間ではあるが解離性障害の発作が出る。暴力はないが無言で言うことを聞かない。DVDを見たいわがままが引き金のようだ。12時半すぎ就寝。
8月27日
 昨晩のことがあって案じていたが意外に素直に学校に行く。学校に行っていた頃に着ていた下着のことやワイシャツのことなどの記憶が飛んでいるようだ。三時間目で早退。
 乗馬はとりあえず当面休会ということにした。喜んでもいないのにお金も送り迎えも大変だし、ストレスを少しでも少なくしなければとも思う。学校に少しずつでも行ければそれだけで良しとするしかない。
8月28日
 学校は休む。状態は昨日よりも悪い感じ。かなり暴力的で噛む。夕方にはだいぶ落ち着いた感じに見える。
 私と寿子さんでフリースクールを見に行く。学校に通うには無理な気がするので、気楽なフリースクールの方がストレスが少ないのではと考えた。親身になって話を聞いてくれ「大変でしたね」としきりに同情してくれたが、帰りに「三千円になります」と言われてすっと覚めてしまった。もちろん慈善事業だとは思っていないが、最初に説明がほしかった。まあ悪い所ではなさそうなのだが。
9月1日
 学校は休んだり行ったりの繰り返し。ゲームを買ったのが悪かったようで興奮して良くない状態。就寝時すぐに寝ない。次の日学校に行く約束だったのをゲームやりたさで休む。今日ゲームやったら二度とゲームできなくなるよと言ったら、キレたような状態で殴る、首を絞めるなどの暴力で言うことを聞かない。充電器を友達の家に忘れて電池切れであまり出来なくて終わり。ゲームは祐樹君を悪い子にしてしまう。この世からゲームが無くなってしまえばいいのにとつくづく思う。
 お母さんと一緒に再び東京へ仕入れと見本市を見に行く。今回は歩く時間が長くて疲れたのか飽きてしまったのか、お手伝いもあまりせず途中一人で帰ると言い出した。乗換えに不安があるが大丈夫だと言い張るので帰らせることにする。一度どうしたらいいかわからなくなって電話をよこしたが何とか帰ってきた。何かあって発作でも起きたらとハラハラしたが何事もなくてほっとした。何かの自信になってくれればいいが。それにしても前回から二ヶ月くらいなのに精神状態がかなり違うような気がする。
9月9日
 相変わらず三〜四時間目で帰る毎日。みんなは3時まで勉強しているのだからDVDは3時からにしようと決めたことに反抗し暴れる。キレているのか、あるいは反抗期(2〜4歳)に入ったのだろうか?
 そういえば最近だっこおんぶは少なくなったような気もする。怒るようなそぶりをしてもごめんなさいということもなくなった。何でも無い時は会話がそれなりに弾むようにも思える。
 面白くないと徹底的に暴れるが自分でやるということも増えた・・・。希望的観測かもしれないが育児教科書どおりだとすると赤ん坊の時期を通って反抗期にさしかかっているのかもしれない。発作が起きた時には一時的に感情が戻ってしまうが、全体的には成長の過程にあるのかもしれない。少しづつでも成長していってくれることを祈るしかない。
9月19日
 校内球技大会がある。二学期初めて終了まで学校行事に参加。
 わがままは相変わらずで言うことも聞かないが、精神的な成長はまずまず順調な感じがする。一喜一憂ではあるが前に進んでいることだけは確かな様子。朝お父さんと自転車に乗りたいと久しぶりに言った。とてもうれしい。
 映画20世紀少年を見る。アニメよりは複雑で難しい内容だが真剣に見ている。このまま何も起こらず前に進めますように。
 夜寝る前に祐樹君の前で折り紙や工作、絵を描いたりということをやってみる。やりなさいと言ってもやらないので、私がやってみて興味を持つのを待っていることにする。時々興味を示し手を出してくる。ゲームやアニメでない時間の過ごし方をさせたいというせめてもの努力。前ほどは興味を示さないが本を読んであげることも始めてみる。
9月29日
 休みを取って出かける。それなりには楽しそうなのだが、あまりにもわがままで、お母さんに暴力をふるったりするので強く怒ったところ、「うわー」と大声をあげてパニック状態となって暴れる。5分くらいで収まるが大きく目を開いて涙を流し、とろんとして失神した時のあとのような状態。潜在意識のどこかにある、怒られることへの恐怖心にスイッチが入ってしまうフラッシュバック発作の一つなのだろう。その状態の記憶は無いようだ。解離性障害の発作ではないようで夜も何も起こらなかった。やはりまだ怒ることはできない。
10月6日
 掃除の時にいじめられたようで泣いて電話をよこし迎えに行く。毎日何某かのいじめのようなことはあるようでかわいそうだ。ずいぶん休んでしまったし、わがままで幼稚だからいじめられる原因もたくさんあるのだろう。先生はそれほど深刻には受け止めていない様子。次の日学校を休む。
 太り気味なのが気になる。食べたい気持ちが抑えられずにろくに運動もしないので、もうズボンがぎりぎりな感じだ。
10月10日
 見ていたアニメの影響か突然パンを作りたいと言い出す。一過性のものだろうとは思うがやりたいということを拒否する理由もないので、材料をそろえお姉ちゃんが帰ってくる時に合わせてやらせてみる。面白がってロールパンを仕上げた。続くものではないことはわかっているが何かやりたいという気持ちがうれしい。
10月22日
 医大受診。先日のパニックは軽い解離性障害と見るべきでしょうとのこと。無理をせず、怖がらずにとのこと。だんだんかわいいと思えるようになってきますからとのこと。本当だろうか。
10月23日
 学校を休みたいというので少し注意するとキレたようになって暴れる。五分程度で収まるがとろんとして眠ってしまう。目が覚めると普通の感じで、前のパニックとも違い記憶もあるようだ。
 時々休みながらでも、何とか学校に行っていることを良しとするしかないと自分に言い聞かせる毎日。以前に比べれば言うことを聞くようにはなってきたもののわがままも強く、怒らないということはとにかく大変。小学一年生くらいにはなったのだろうか、いやまだまだそこまで届いていない気もする。成長したと思い込みたいだけなのかもしれない。理屈的にはそんなに一足飛びに成長するはずも無い。
 毎日、学校生活や将来への不安、自責の念、病状が悪かった頃の記憶のフラッシュバックが重なってさすがの私もかなり参っている。寿子さんのうつ病が悪化してしまうのも無理からぬことだと思う。いくら後悔しても何も戻らないから、前を見て進もうと毎日のように自分に言い聞かせるのだが・・・。
 小学校の担任だった教師に一連の事実を手紙として送ったが何の返事も無かった。謝罪すれば立場的問題や訴訟問題につながる可能性があっての「保身」という公務員特有の性癖なのだろうが、訴える気持ちもそれだけの材料もあったわけでもなく、ただ祐樹君に謝って欲しかった。謝ってもらうことで心の中の氷がほんの少しでも溶けたらと願っただけだった。道義的にきっかけになった可能性があるのだから一人の人間として謝罪するのが当たり前だとも思っていた。その教師がいまだに教壇に立ち「いじめは・・・」「悪いことをしたら謝らなければ・・・」とか理想論を唱えている姿を思い浮かべると学校という所がとても恐ろしく思える。
 教師向け軽度発達障害対応マニュアルの重要な項目の一つとして「人前で注意したり叱ることは避け、注意する時は一人の時にどうしていけないことなのかをわかりやすく繰り返し伝える」ということが挙げられているのを見つけた。担任はこれをとてもひどい形で無視したということになる。私は教師の行為が息子の心を破壊する直接の原因だったと思っているが、現実的にPTSD発症に教師がどれだけ関係していたかを証明することは不可能であり、私の責任も大きいことは間違いない。けれども職業として息子を追い詰めた教師を親として許すことは出来ない。
11月11日
 学校行事で早朝に公園清掃という行事があった。行かないと言い張っていたが、みんなと同じことをしようと説得した。最後には怒られるのがいやで行くと言ったようだ。私も一緒に参加したが、みんなの中でおどおどしたようなとても幼い表情で作業していたのが印象的で、無理強いしたことがもしかしたら間違いだったかもしれないという思いがよぎった。
11月13日
 せっかく縁の切れたはずの翔君たちとまた遊びたいという。それは許せないというとキレて暴力をふるって大騒ぎをし、憤怒失神も起こす。15分くらい暴れてお母さんにまで暴力をふるうので痛くない程度に叩いたところ、パニックを起こし大声で痛いと悲鳴をあげる。パニックを起こしたせいかとりあえずとろんとして収まる。
 よくよく話をしてみたものの、まだ善悪の判断がつかぬ幼児並みの感情にはなぜ翔君と遊んではいけないのかが理解できないのだろう。哲君からも最近はいじめられているようで、「じゃあ誰と遊べばいいんだよ!」という孤独感もわからないではなく、嘘をついたり隠れて行動することを無くすためにも、禁止はせず注意深く見守るしかないのだろうか。フラッシュバック発作さえなければ絶対禁止もできるのにと思うとくやしくてならない。いつか同じように利用されるか、悪いことを真似るようになってしまうに違いない。不安だけが大きくなるがどうすることもできない。何が正しい答えなのかわからない。いろいろな条件をつけて遊ぶことを認めるしか選択肢がない。
 昨日嘘をついて翔君と遊んでいたらしく、もう嘘はつかないでという言葉はどうにも届かず情けない。信じてあげたいのに信頼を裏切るようなことばかりする。子どもだから幼児の感情だから仕方ないことなのか、それとも性格なのか?
 夜になって気持ちが落ち着くと「お父さんいっぱいパンチしたりしてごめんなさい」と言ったりする。今回は完全に記憶があるようだ。それがどういうことでこれからどうなっていくのか全くわからない。寿子さんの調子がとても悪い。そんなお母さんを一生懸命慰めてくれるような本当はいい子なのに、どうして翔君のような悪人と遊ばなければならないのだろう。祐樹君をどろぼうにした悪いやつなんだよといくら話してもわかってくれない。学校の先生にも相談したが翔君に関して悪い話がたくさんあるようで、できれば遊ばせたくないという気持ちは同じなのだが。
 仕方がないからこのことをきっかけに甘やかすことは徐々にやめて、自分のことは自分ですることをできるだけ進めようと思う。
11月17日
 学校で三者面談があった。特に悪いところを取り上げる話題などなかったのだが、私と先生が悪口を言っているように聞こえたのか、そういう意識が働いたのか、興奮しているような、退行が戻ったような状態。お母さんの足をかんだり、ふざけているのではあるが必要以上に暴力的にからんできたり、鬼ごっこをしようといったり・・・。
 まだまだストレスによって不安定になってしまう面があるのだということにいささか落胆する。寿子さんもまた具合が悪くなっている。
11月18日
 友達に蹴られて泣いて保健室に行ったとのこと。先生が蹴った相手を注意してくれたそうだが、結局は祐樹君があまりにも子どもっぽくてうざくなってしまうのだろうと思う。
 どんな学校生活を送っているのか考えるとかわいそうでならない。どんなにか辛かろうと思うが他に道はないのだから何とか乗り越えて欲しいと願う。
11月19日
 期末テストなのだが全く勉強する気はなく最下位を覚悟している。やる気にさえなればそれなりの成績を取れるはずなのに・・・。中学生になって置いて行かれないようにとあせった結果が、途方もない距離で置いていかれることになるなんて何という皮肉なのだろう。私が悪いことは疑うべくもないが早く良く成長することを願っていたのも事実。祈るだけしか方法がない中で将来への不安に押しつぶされそうな毎日。
12月10日
 昼過ぎ、学校でいじめられたらしく泣いて迎えに来てと電話をよこす。学校に行くと思ったよりひどい状態のようだ。大きく目を見開いて涙を流し、放心状態で解離状態まで行ったのかもしれない。
 こんなにひどくなるまで何があったのか、なぜ先生は助けてくれなかったのだろう。聞いても話さない。放心状態がかなり長い時間続く。何か楽しいこと・・と訴える。
 どうも教師の対応が傷を大きくしたらしい。くれぐれも注意深く見守ってくださいとお願いしたはずなのに。もちろんそうは言っても、祐樹君一人に四六時中目を向けているわけにもいかないのだから仕方ないのだろうが。
 おもちゃ屋さんにレゴを買いに行くという話になって少しずつ平常を取り戻すが、今までにないひどい状態にもう学校はあきらめようと決心する。
 せっかく毎日学校に行けるだけの精神力がついてきたのに、こんなことで行けなくなってしまうなんて悔しくてたまらない。この子が学ぶ権利をなぜ奪うのだろう。将来に繋がる道がこれで全て閉ざされてしまった。これからどうやって育っていくのか不安で押しつぶされそうになる。
 いや、もともと赤ん坊程度の感情しか持っていないのに学校に行かせていたこと自体無理があったのだ。まだ保育所で遊んでいなければならない程度の感情年齢でしかないのに、何とか学校にだけは繋ぎ止めて置きたいという親のエゴが彼を追い詰めてしまったのかもしれない。悪いのはこの私だ。
 数日はどうも調子の良くない感じがする。やはり解離状態まで行ってしまったのだろう。
 寿子さんの状態も影響を受けて良くない。病院を変え、薬が変わった影響も大きいような気もする。
12月17日
 医大受診。とにかく一年間は大事にしなければいけないとのこと。無理をしないようにという。もちろんそうは思うがどこかで人事なのだろう、大丈夫ですからと言われても・・・。
 「大変でしたね、お父さんよく頑張りましたね」前回も今回も同じ言葉が出てきた。前回はありがたいと思って聞いていたが今回はマニュアルにある言葉なのではという気がしてきた。家族のストレスを軽減するための方法論なのだろう。心からその言葉が出ているとは思えない。
 ダンボールで寝室に基地を作り、遊んで寝る。狭い家の中でかくれんぼをし、お姉ちゃんと鬼ごっこ。まだまだ幼い。中学生並みに戻る日が来るのだろうか。
 夫婦で携帯の待ち受けにずっと発病前の祐樹君の写真を入れている。かわいい笑顔を見る度にこの笑顔を私が消してしまったのだという自責の思いとやりきれない悲しみ、そしていつか必ずまた会えることを信じたいという複雑な心持になる。
12月18日
 友人の家で恒例の忘年会があるので出かけることにする。祐樹君も心配だし、出来ることなら他の人とも話をさせたいと思って連れ出してみるが、車から絶対に降りようとしない。ご馳走があるよ、挨拶だけでもと説得してみるが応じない。以前来たときには喜んでみんなの間に入っていたのにすっかり性格が変わってしまった。何かを怖がっている。ずっと車の中でDVDを見て過ごした。
12月20日
 映画を見に出かけたはずの祐樹君から電話があった。お母さんがいなくなったという。二人で出かけるのは不安だったが大丈夫だという言葉を信じて送り出した。何かのわがままをきいてやれないことで冷たい言葉を掛けられて心が切れてしまったのだろう。
 自殺の恐れが大きい、大変なことになった。あわてて店を閉めて映画館に向うが50分はかかる。間に合ってくれ。しかしどこを探せばいいのだろう、携帯は置いていってしまった。距離的には近いはずのお姉ちゃんにも連絡をとって向ってもらう。不安な時間だけが過ぎていく。映画館に着く頃お姉ちゃんから連絡が入った。見つかったらしい。ほっと胸をなでおろす。気持ちが落ち着いて戻ったらしい。良かった。
12月23日
 2匹のうち1匹に子犬が産まれた。心配なようで出産が終わるまで行ったり来たりしている。子犬は誰かにあげると言うと、1匹残したいという。かわいいという気持ちがあるのだろうか。3匹飼うのはちょっと無理だ。
12月28日
 ずっと家にいて朝から晩までDVDやゲームづけの毎日だが状態は落ち着いている。ゲームが良くないことはわかっていても怒ることもできないし、他の遊びに付き合っている時間も無い。仕方がない仕方がないと自分に言い聞かせる。
 学校の音楽の時間でギターに興味を持ったようなので、私の友人の所へ習いに行くよう勧めてみるがうんとは言わない。知らない人ではないのだが、家族以外の大人に対して強い警戒心と緊張感を持っているのが感じ取れる。解離性障害の発症以来すっかり性格が変わってしまった。小学校の先生、中学校の先生と彼を人間不信にさせる大人が多かったせいなのだろうか。
 年賀状を作りたいと言ってほぼ一年ぶりに自分から絵画教室へ行きたいと言い出す。絵画教室の先生に対しては警戒心が無いような感じがする。これをきっかけに通うようになってくれればと思う。版画で作って小学校の友達へ出した。鉛筆で住所を書いた。もう鉛筆で書いてくる友達はいないだろうし、年賀状を出してくれる友達もいなくなってしまうだろう。何もかもが悲しい。
2009年1月8日
 友人宅にギターを習いに行く。一度は行きたくないと言ったのでお姉ちゃんと行ってもらう事にした。気が進まない感じではあるが自転車で行くといって出かける。ギターを習うまで行かないようなのでドラムや楽器で遊んできたらしい。楽しそうだったようで3時間くらいはいたようだ。
 しかし人に会う緊張がストレスになったらしく夜になっておかしな状態になる。乱暴だったりイラついた感じだったり、とにかく落ち着かない感じだ。鬼ごっこをやろうといったり、面白い番組なのに落ち着いて見られなかったりする。今日は自分でもおかしな状態がわかるようで「何か変」「どういう風に言ったらいいかわからない変な気持ち」「終わりだ」などと口にする。一晩眠ったら落ち着いて何でもなかったよう。何らかのストレスがあると感情が不安定になってコントロールできなくなってしまうのだろう。
1月7日
 お姉ちゃんと三人でスキーに行く。楽しかったようだ。終わってから絵画教室に行くことになっていたのだが疲れたから行かないと言い出す。どうして言うことを聞けないのかと言うとキレて車を蹴飛ばす。さすがに頭にきてずっと口をきかなかったら、夜耐え切れなくなったのかごめんなさいと繰り返してフラッシュバック発作が起きる。放心状態になって涙を流し、毛布をかぶって顔をふさごうとしたり、おかしなことを口走ったりする。大丈夫だからと繰り返し声をかけ、少し普通の状態に近づいた感じで寝る。翌朝は普通の感じに戻る。
 ストレスを与えていけないのはわかりきっているのだが、普段からのわがままに気持ちを抑え続けているので、さすがに何かあると感情的になってしまうのを抑えられない。それでも直接怒ることは避けているが、怒っていることが伝わるだけでも感情が不安定になってしまうらしい。わがまましたい放題をただ受け入れるしかない空しさをどこに持って行けばいいのだろう。この子は一生ストレスから保護してやらなければ生きていけないのだろうか。何もかもあきらめて期待も抱かなければいいのだろうが、私が死んだら誰が面倒を見ていくのだろう、一つのストレスの種は消えるのだろうけれど。不安で不安でどうしたらいいのかわからない。
1月14日
 医大受診。いろいろな現象は回復している途中のことと思った方がいいとのこと。無理せず少しづつとのこと。いつか自分から何か始める時が来るからと言われるが不安でならない。医師はこのような症例を見ているらしい。症例があるからには何か調べることが出来てもいいはずなのだが。
 先日ギターを習いに行かせた友人が遊びに来た。発病前の祐樹君を知っている友人は以前とは違う状態を感じ取ったらしく驚くような話を始めた。
 「もしかして精神科の薬飲んだの?薬を飲んだ途端おかしくなったんじゃない?」
 といういきなりの問いかけに思わず絶句してしまった。誰に話したって信じてもらえるようなことではないから祐樹君のことはまだ誰にも話したことはない。
 自分の甥が学習障害の治療として精神科の薬を飲んでおかしくなり、学校に行けなくなって引きこもりの状態が長く続いたらしい。その子の表情に先日の祐樹君がそっくりだったというのだ。その家はわずか二キロ先で、家族と話したことは無いものの甥も含め顔は幾度か見たことがある。
 友人は退行という病名は知らず、詳細については知らないことも多いようだが、状況や症状はほぼ合致するように思える。おそらくは家族も退行とは知らないまま泣き寝入りするしかなかったのだろう。話を聞きたいとも思ったが、触れられたくないものでもあるだろうし、話すことを望むような家族でもないようなので断念する。数年後には定時制の高校に通えるようになったというのだが・・・。
 それにしてもこんな身近に同じ副作用の症状が起きているということは、よくあることだということ?「持っていたもともとの精神障害が薬で促進された」という医師の言葉を疑いながらも信じ、きっかけの精神障害の原因を作った自分を、毎日毎日責め続けて来た私には何をどう考えればいいかわからなくなってしまった。
 退行と副作用について改めて調べて直してみようと思う。おそらく退行とも副作用とも診断されないままの例がたくさんあるに違いない。
1月19日
 お互いに思っていることをきちんと話し合ってみようと試みるが、お説教されているとしか思えないのかこたつにもぐってしまう。将来のことを口にしても今は考えられるものを持っていないようだ。少しでも前向きに何かをさせたいのだが、どうしたらいいのだろう。まだまだ無理なのだろうか。絵画教室は行きたい気持ちにならないようなので、また機会をみて話してみようと思う。
1月26日
 天気が良いのでスキーに行こうと誘ったがぐずぐず言って行かない。新しい靴も買ったのにとか、天気が良いときに休めるわけじゃないことを考えると、私の表情が曇ってしまうが仕方がない。もしかしたらこの間スキーに行って楽しくなかったのかもしれない。楽しくて行っていたような記憶があって行ってみたけど行ってみたら疲れるし寒いし・・・という幼児の感覚なのかもしれない。
 仮面ライダーのおもちゃを買う。まだ感情年齢は小学生以下なのだろう。思ったよりも回復のスピードは遅いようだ。仕方がないと言い聞かせるが気持ちばかりが焦ってしまう。
 どうしてこんなことにと、考えても仕方のないことを考えてしまう。せっかく成長したのにもう一度同じことを繰り返さなければならないなんて。でも考え方を変えれば、成長した祐樹君を待っていたものが悲しみだけだったからこんなことになってしまったわけで、悲しみを無いことにして、もう一度やり直すチャンスをもらったと考えるしかないのだろう。
 一時に比べて目つきがとても良くなった。どこがどう違うと言われてもわからないが悪い時はとても怖い目をしていた。最近はよく笑うようになったし、表情がとても良いような気がする。そう、これでもずいぶん良くなったんだと思う。それで良しとするしかない。
 

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