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これまでの研究の集大成

統合失調症は「治療」してはいけない

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第一部 副作用の記録


 3. 待つという事 2年目

3月9日
 夜11時半すぎ、寝ようと布団に入るが、苦しそうなせきをした後、体をどこかにぶつけるか暴れるような音が三回したあと「うううううううう」と小刻みに繰り返す。意識はほとんど無い様子。脈拍、呼吸はある、目は閉じているが眼球の動きがあるような感じはする。15分から20分続く。おんぶして外に連れ出したりしてみるが脱力している。犬の所へ連れて行くとかすかな反応は示すが回復しない。やがて突然意識を取り戻すがとろんとした感じで、何があったのと聞いても「わかんない」と脳がショートしてしまうような様子。「疲れた」と言っている。20時すぎ耳かきをしながら就寝。
 何が原因で起きた意識障害なのか全く不明。はじめての症状のように思う。せきをしたあとに何らかの発作が起きたものと思われるが、電気を消していたこともあって、それが肉体的な原因によるものか、心理的なものによるものかわからない。心理的に追い詰められるような原因も思い当たらないが、いつまでもゲームを終らないことを注意してはいるし、先に寝てしまったこと、花粉症で目が痒いと言ったのに誰もかまってくれなかったことが何かを追い詰めてしまったのか?それにしても症状が今までにないもので、涙も流していないし何かに反応するような声や態度もなかった。いったい何が起きたのだろう?とりあえず順調に回復していると思っていただけにショックが大きい。
3月10日
 夜寝る時に「ごめんなさい眠れないかもしれない」と不安そうに言った。ということはやはり昨晩は寝ないのを怒られていると思ったからなのだろうか?
「大丈夫だよ眠れるから」と声をかけ耳かきをする。すぐに眠った。
3月15日
 夜10時半すぎ、突然解離性障害の発作が起きる。奇声や暴力、突然逃げ出すなど、約30分続く。序々に収まり、ちょっと乱暴でわがままな感じではあるがとりあえず普通の状態に戻って就寝。これだけの発作は半年以上なかった。原因もきっかけもない。順調に回復していると思っていただけに続けての不調はショックが大きい。もう一生直らないのかもしれない。翔君の家で何かあるのだろうか、偶然なのかもしれないが今回も前回も翔君の所へ行った日に起きている。
 寿子さんの調子が悪い。何度言っても言うことを聞いてくれず、お互いに足を引っ張り合ってしまう。
3月18日
 医大受診。波があっても驚かずに対応するよう、全体的にみれば回復しているはずとのこと。
 あの悪夢のような出来事から一年が過ぎようとしている。苦しみだけの一年だった。ただただ時間の過ぎるのを待ち続けた。一年前よりは間違いなく良くなっているが、その回復のスピードは極めて遅い。もう一年も経つのにと考えるか、まだ一年しか経っていないと考えるべきなのかよくわからない。あと何年かかるのか、将来はあるのか、不安だけが増殖していく。
 いつか目が覚めたらいつもの祐樹君に戻っている・・・。記憶喪失のテレビドラマのようにふとしたきっかけで記憶が戻って来るような、そんな奇跡をどれだけ夢見たことだろう。悪いことはどうしてというほど起こるのに、奇跡は何も起こらなかった。
 さすがに二人の心の病を抱えた家族がいる生活が一年も続くと少しきつい。私が弱い人間だったらとうに一家心中ということになっていたはず。こんなことで負けていられない、私しか頑張れないのだから。
 でもこんな苦しい思いをしなければならないのはどうしてなのだろう。私が原因を作ったから?それとも教師?医者は何をしたの?直して欲しいと言ったのに、どうして?どうして?
 祐樹君の希望を受け入れて猫をもらってきた。動物を飼うことがそれほど好きなわけではないが祐樹君のためなら仕方がない。とりあえずかわいがっている。何かの役に立てばうれしい。
3月30日
 誰か友達と遊びたいようで小学校の離任式に行く。不安になって「いじめられるから」と止めたのだが「大丈夫」と言って出かけていった。帰りに翔君の仲間の家で遊んでいじめられたらしく、目を吊り上げた険しい表情で帰ってくる。玄関の土間に座り込んだまま動かない。徐々に落ち着くものの精神的にすごく不安定な感じだ。いじめられることがわかっていても遊びたい気持ちが抑えられないのだろう。さびしい気持ちもつまらない気持ちもわかるけれど、また同じ過去の繰り返しになってしまうのではと不安になる。
4月2日
 休みを取って東京へ遊びに行く。四人そろって出かけるのは一年ぶりだ。遊園地巡りだがお姉ちゃんも一緒なので楽しそうだ。
 小学校の学習旅行で行った浅草が懐かしいようだ。記憶は全て残っているがその時の感情は覚えていない。それはどういう感覚なのだろう。お土産屋さんでその時と同じものを欲しがる。
 どういうわけか「何かをこう考えていた」という記憶は残っているらしい。考えたことは一般記憶の分野だということなのだろう。「感じた」記憶は一切残っていないようだ。
4月3日
 お姉ちゃんに怒られてフラッシュバック発作が起きる。布団にもぐって自分の手を噛んで奇声をあげて人を拒絶する。水を飲ませ十五分程度で収まる。しばらくするといつもの状態に戻る。記憶は無いようだ。私でも怒らないでいるのは大変なのだからお姉ちゃんには無理もないこと。中学生だと思って油断してしまうのだろう。
 翔君の家に行く。またいじめられるからといっても言うことを聞かない。寿子さんの調子が悪く、お姉ちゃんをお手伝いから解放できなかったのが悪かった。
4月9日
 二年生になったのだから行ってみたら、という説得にようやく応じて久しぶりに学校へ行く。三時間目で帰るがとりあえずは第一歩。
4月12日
 それからは学校に行こうとしない。やはりなじめない緊張感が耐えられないのだろうか。
 公園に遊びに行く。お姉ちゃんと一緒なので楽しそうに遊ぶ。行き先のことで言うことを聞かずちょっとの間逃げ出すがすぐに戻る。
 お姉ちゃんが犠牲になってかわいそうだが、翔君と遊ばせたくないばかりにお姉ちゃんに頼ってしまう。寿子さんの調子が悪い。何だかんだと不満を言ってまた病院を変え、薬も変わった。これも病気の一つの症状なのだろう。だめだと言っても言うことを聞かない。病院に一緒に行かなかったのが悪かったのだろうが不安が募る。薬のせいか生活時間がめちゃくちゃで、正直これ以上どこまで面倒を見てあげられるか自信が無い。
4月13日
 学校には行かない。おもちゃ屋でカードゲーム用のカードを買う。以前に比べれば大分抑制が効くようにはなったもののまだまだわがままを言う。カードは翔君と遊ぶという前提があるのでとても不愉快な気持ちで、買ってあげたくないのだが・・・。ジャンプが欲しいという。今まではコロコロだけだったのに成長したのかな?
4月14日
 今日は写真撮影があるので学校に行くと言っていたが行かなかった。来月見学旅行があるので出欠の連絡をしなければならない。行きなさいといっているわけではなく、どちらか判断しなければならないだけなのだが、行きたい気持ちはあっても仲間はずれにされるだけだから行きたくない、そんな葛藤でフラッシュバック発作が起きる。行くと言えないことを責められている感じがしたのだろうか、ごめんなさいと繰り返す。三十分以上続く。やや落ち着いて眠る。最近調子が良くないような気がするのは心が成長して感受性が育っているからなのかもしれない。喜んでいいのか悲しむべきなのかわからない。
4月15日
 見学旅行には行かないことにした。でもそれで安心したような感じがする。
 医大受診。学校のカウンセラーとの相談を勧められる。百回通うつもりでないと動かないとのこと。学校に行くことが良いことなのかどうか判断が出来ない。
 「普通は薬を使うんですが、使わないと大変なんですよね」などと言っている。退行を薬で治せるわけがない。だまって言う事を聞いていたらさらにわけのわからない薬を出されていたということなのか、恐ろしい。
 医大は待ち時間が長い。早くて一時間、普通は二、三時間が当たり前だ。一〜二か月に一度病院との繋がりを切りたくなくて通っているが何か新たな展開があるわけではなく、さまざまな症状の変化を報告してわかりきったような判断を受けて安心するためだけの通院だ。副作用を副作用とも認めない専門家を当てにするしかない情けない思いと素人の限界とが行き来する。病院に通う意味が本当にあるのだろうか。
4月17日
 夕方、お昼寝していたところを起こして散歩に連れて行こうとしたら、目が覚めない感じで仕方なくついてくる。寝ぼけているところを散歩に行くように強制されたのが悪かったのか、別に怒ったわけではないがフラッシュバックのような発作が起きる。奇声を発したり、毛布にもぐりこんだり、ぶるぶると震えたかと思うと誰かが遠くにいるといって怯えたり、車に乗り込んでレンタルビデオ店に着くまで続く。私に抱きしめられているのが何となく心地良い様子なので寿子さんが運転する。おそらくまだ寝ぼけている状態なのだと思う。自分をコントロールできないところに別人格が入り込むのだろう。食事をする頃には普通の状態に戻る。
4月25日
 まただっこをせがむようになった。半年以上おんぶはあってもだっことは言わなかった。どういうことなのだろう?いいことなのか悪いことなのか?
 翔君が電話をよこす。どう対応したらいいのかわからない。遊びに行くが短時間で帰ってくる。眠くて先に寝たお姉ちゃんを起こそうとするので「どうしてそういうことをするの」と注意したところ、フラッシュバック発作が起きる。時々蹴飛ばしたり払いのけようとしたりする。完全に元には戻らないまま20分くらいで眠る
4月26日
 何でもなく起きるが甘えるようにだっこをせがむ。一年前に比べて大分重くなった体をだっこするのはきついのでおんぶにしてくれとお願いする。おんぶされている時の表情はとても幸せそうだ。中学二年だという現実を無視すれば悪くない時間かも知れない。
5月8日
 寿子さんの両親には簡単に事の経緯を話してあったが、私の母親にはまだ何も話していない。一応話しておくべきと寿子さんが言うので気は進まなかったが出かけてみる。
 病気の発症から経過、寿子さんのうつ病が悪いこと、一年間の苦労をわかってもらえるように一生懸命 話したつもりだった。それに対して母親は「ろくに墓参りもしないからそんなことになるんだ」と言った。一瞬耳を疑った。わかってもらえるとは端から思っていない。だからこそ家を出たわけだから期待などしていない。だけど一家心中まで考えた息子に対してこんな言葉しかかけられないとはいくら何でも考えつかなかった。結局、情けない親を持った悲しみを再確認したに過ぎなかった。
 帰る車の中で涙が出てきた。虐待されたわけではなかったが、愛されなかった、信頼されることの無かった子ども時代からの悲しみが蘇ってきて情けなくて情けなくて仕方が無かった。この親に話そうと思った自分の愚かさを笑うしかない。
 この親に比べれば私ははるかに子どもたちを愛してきたつもりなのに、どうしてこんなことになってしまったんだろう。
5月11日
 夜寝る間際「アーア」と大きくため息をついて「受験がだんだん近づいてくる。俺このままじゃ高校には入れないよね」などと話し出した。自分から将来への不安を口にしたのは初めて。学校のこと勉強のことにはずっとなるべく触れないようにしてきた。フリースクールのこと、家庭教師のことなどをしばらく話す。みんなと違う学校に行ったり違うことをしたりはしたくないが、学校には行きたくないし勉強もしたくない。でも漠然とした不安がよぎったらしい。この成長には正直驚いた。といってもまだおんぶやだっこを要求するし、とても小学生のレベルに届いてもいないと思う。単に幼い頭で現実を考えたに過ぎないのか?いったいいくつなんだろう?
 学校の先生にも相談してみることにする。学校に行かせるためにではなく祐樹君の将来のために何らかの方法論を導き出すことが出来たら。
畑を作りたいと言う祐樹君の要望を受けて数年ぶりに小さな畑を作ってみた。それなりに喜んで手伝っている。何らかの成長の足しになればうれしい。
 どうしてこんなことになってしまったのだろう。思い返せば確かに叱ってばかりで育ててしまった。どんなに怖くて辛かったのだろうと今になって思う。
 人を怒らせる天才だった。わがままで自己中心的で人の心を思いやれず、何度言っても言うことは聞けなかった・・・。もちろんそれは脳の構造的問題で本人に悪意があったわけでないことを今は理解できる。けれど叱ることでその恐怖が緊張感を生んで態度を改めてくれるとも信じていた。しかしそれは無理な要求だったのだろう。叱ってはいけない、ほめて育てるんだという考え方があることも知ってはいた。けれどみんなに迷惑をかけて頭を下げ続けているうちに余裕がなくなってしまったのかもしれない。
 結果的に一人の人間の脳を破壊してしまったことは確かなこと。その罪の深さを思う時何の為にここまで生きてきたのだろうと空しくなる。こんなはずではなかったのに。ごめんね祐樹君、君の将来をメチャクチャにしたのは誰でもないお父さんだ。寿子さんの病気も直接の原因は私にあるようだ。私との相性が悪いのだろうか。うつ病などの精神的疾患やADHDなども遺伝的な関連は深いものがあるらしい。二人とも同じものを持ち合わせているのだろうか。いくら考えても何の答えも出ない。今あることをただ受け入れるしかない。
 一方で直接的には薬の副作用で引き起こされたことへのやりきれない思いも募っている。ネットや本を調べてみると、発達障害児への精神科治療薬の投与には慎重を要するという文章も見受けられるし、精神科治療薬の副作用は発症事例もかなり多いようだ。だが医師も認めない副作用をどこに訴えればいいのだろう。仮に副作用だと認められたとしても、死ぬわけでも入院するわけでもないものを救ってくれるところは無いから結局は泣き寝入りするしかないのだろうか。これほど長く苦しい副作用なのに薬を処方した医師は謝罪することも賠償することもないなんてあまりにおかしすぎる。
5月18日
 畑にナス、トマト、とうもろこし、メロン、すいかなど手伝わせて植えてみる。成長が気になるようで水をあげたり草取りをしたりと、気が向いた時だけではあるが頼まなくてもやっている。収穫したらばあちゃんにあげるんだと電話したりしている。
 夜になってゲームのケースが壊れたことであまりにもわがままをいうので私が不機嫌になるとフラッシュバック発作が起きる。鏡をがたがたと叩いたことに始まり、布団に顔を隠し近づこうとすると拒否し蹴飛ばしたりする。DVDを見せて一旦落ち着くが終ると再び症状が出る。二十分くらいで落ち着く。記憶は無い。落ち着くとかわいい子なのだが。
6月14日
 お姉ちゃんと遊ぶのが楽しくてお姉ちゃんを解放してくれない。お姉ちゃんもやりたいことがあるのにできない。それを見ていて寿子さんがおかしくなる「一緒に死のう」などとまた言い出す。少しはお姉ちゃんを解放してよと注意すると布団をかぶってしまう。そんなにひどくはならなかったが寝てしまう。目を覚ますと何でもない。やっと回復してきたところなのに祐樹君の行動が寿子さんの病気を悪くし、それがまた祐樹君の心に傷を与えてしまう、困ったものだ。
 寿子さんの具合は一気に悪化。病気なのだから、やさしくしてあげなければと思うのだが、現れる私への攻撃的な態度が私の心を砕いてしまう。寿子さんの本心がどこにあるのかわからない。病気なのか本気なのか一緒に居たいのか憎いのか理解することができない。
 小さい頃のビデオを喜んで見るようになった。去年は全く見ようともしなかった。小学校の時の思い出を結構口にするような気がする。記憶と感情が近づいているからなのだろか。確実に前には進んでいるように思う。収穫したレタスをおいしいと喜んで食べている。私と二人だととりあえず何も起こらないで済む。
6月16日
 三人で泊りがけで出かける。公園で遊び、海岸を散歩し自転車で走った。楽しい時間を過ごすことが出来るようになった気がする。海をゆっくりと眺めて寿子さんの心も随分癒されたようだ。
7月6日
 夕食後突然腕を噛み、言うことを聞かなくなる、異常にお父さんにくっつきたがる、顔を覆ってテーブルの下に潜るなど解離性障害の症状が出る。状態としてそれほどひどくはなく意識もあるのではないかとも思えるくらいだ。波があるが寝るまで断続的に続く。お風呂には入ってくれなかった。わがままで甘えん坊の赤ちゃん状態ではあるが寝る時間は言うことを聞く。
 久しぶりの発作で戸惑うが仕方ないのだろう。翔君の家に行ったことや、お姉ちゃんが土日にいたことが何らかの興奮状態を引き起こし、脳を疲れさせてしまったのかもしれない。最近はずいぶん成長していた気がしていただけに、一年以上を経てまだフラッシュバック以外の発作の起こることに落胆してしまうが、まだまだかかるのだろう。学校や精神的に負担となるものを抱えるのはまだ無理だろう。
7月16日
 夕方まで昼寝をして起きないので「何でこんな時間まで寝てるんだ」と軽く注意すると「ごめんなさい」と叫んでフラッシュバック発作が起きる。「大丈夫だよ」といってだっこして五分程度で通常の意識に戻る。
7月17日
 わがままを言ってそれを聞けない寿子さんとトラブル。またフラッシュバック発作。今日は少し長い。20分くらいでとりあえず戻るが、時々噛んだり、おんぶをせがんだり、ずい分年齢が戻ってしまった感じがする。
 繰り返すのもわかっているし、波があるのもわかってはいるが、精神的には結構きつい状態になってしまう。将来への不安が大きくのしかかってくる。いつまでこの子をおんぶできる体力があるのだろう、私はいつまでも生きていられないのにどうやって暮らして行くのだろう。
 二人の病人を抱え、商売も不況で思わしくない。発症してから私が仕事を出来ない分人を増やしたことによって随分借金も増えてしまった。何もいいことが無い状態は結構しんどい。もちろん泣き言は言っていられない、どうなっても前に進み続けなければ。
8月6日
 毎日ではないものの時々噛んでくる状態。おんぶはほとんど毎日要求することが続く。
 一時どちらもなくなった時期がある気がするがまた元に戻ってしまったのだろうか。
 何度声をかけてもお風呂に来ないので上がってしまうと、それほど怒っていたわけでもないのに怒られる状況というのを感じたのか、フラッシュバック発作が起きる。今日はゲームを続けたいというわがままが引き金のせいか、毛布をかぶって逃げ込むだけでなく、蹴る叩くなどの暴力も見られる。10分ほどで憤怒失神を起こし元に戻る。眠いと訴えるがお風呂に入れないわけにもいかないので、無理やりお風呂に入れると少し目が覚めてきた感じがする。
 おそらくこの症状は一生治らないのかもしれない。脳に消すことの出来ないトラウマが残ってしまったのだと思う。これほど言うことを聞かない相手に全く怒らないということは不可能だ。強く怒ることや暴力は100%していないが注意する程度は避けられない。その度にタイミングが悪ければ発作が起きてしまう。発作が起きれば何らかのダメージが脳に及ぶのだろうと思うとやりきれない。
 医者は治るといったがそれはあくまでも何の原因もなく起こる解離性障害の発作のことで、トラウマによるフラッシュバック発作は、薬を飲む以前から前兆のような症状があったことを考えると治らない可能性が高いのではないか。どうすればいいのか誰も教えてくれない。
 一日中DVDかゲーム。脳に良くないことは判っていてもそれ以外にすることがない。レンタル代やゲーム代も結構な金額になるが仕方がない。朝なるべく早く起こし、食事をさせ、夜はお風呂に入れてなるべく早く寝かせるというリズムを作るだけで精一杯。寿子さんも調子が思わしくなく全ての負担が私に来る。仕事も山のようにあってお金がない。祐樹君の相手をしてあげられる時間が足りない。
 寿子さんとお姉ちゃんがアパートを引き払う予定。お金が無いので仕方が無いし、どうしてアパートを借りなければならないのか理解できなかったからそれ自体は一安心なのだが、戻ってくればお姉ちゃんを独占して遊びたいからまたトラブルが増えてしまうのだろう。大学受験に向けて追い込みの時期に入るのに勉強ができるのだろうか。朝五時起きの生活がまた始まる。祐樹君が早く起きて早く寝てくれればいいのだが、私の体が持つかどうか不安だ。
 ただ不安と絶望の日々が続く。明るい光を見出そうにも材料が無い。いくらストレスを感じない私でも大切な息子の将来をめちゃくちゃにしてしまった負い目はあまりにも深い。一年以上経つのにこのままで本当にいいんだろうか。何かできることはないのだろうか、そんな藁にもすがる思いでまた本を集める。
8月8日
 お姉ちゃんがテスト勉強で遊べないと言ったことに腹をたててトイレにこもり、あたりのものを投げ散らかしたり大暴れする。キレた状態だろうか。しばらく暴れさせてから「ごめんね」といって片付けてまわる。やがて私に抱きついてひとしきり泣いて終る。さびしかっただけ、悲しかっただけなのだ。すべて本に書いてある通りだ。キレた状態は悲しみで一杯なのだ。怒ったり取り乱したりしたら逆効果でしかない。怒られる状態が心の中で当たり前になっているからその方が安定して居心地がいいらしいのだ。でもけしてそうしないように細心の注意を払わなければならない。落ち着いたあともペーパーナイフを壁に突き刺したり、お母さんの服を切り刻んだりしている。恐ろしい気もするがこれが彼の悲しみなのだと理解する。普通の状態に戻るまでかなり時間がかかった。
 この間の記憶は無いようで、ひとつの解離状態なのだろう。でも違う人格の祐樹君と話をすることが出来た気がする。大きな氷山のほんのひとかけらが溶けたような気がする。もしかしたら治る可能性があるのかもしれないとふと思う。
8月10日
 私たちが見ていない時を見計らって、猫に噛み付いたり、首をつかんで叩きのめしたり、放り投げたりの乱暴が毎日のようにある。とうとう病院に行くまでになった。最近読んだ本の中にあった虐待の再現化というものなのだろうと思われる。トラウマが無くならない限りこの状態は続くのかもしれない。安定した日常の中で解離性障害もトラウマも少しずつ治っていくものとも思っていたがそうではないらしい。
 トラウマを無くすにはトラウマセラピー(認知行動療法)という方法があるらしい。潜在意識の中のトラウマに向き合い、客観的に言葉にして理解していく「言語化」という方法で顕在意識の記憶に変換していくものらしい。簡単なことではないようで危険性もあるらしいがとにかく直せる可能性があるということだ。
 それにしても一時かなり良くなった気がしたのにどうしたのだろう。しばらく噛むことも無かったし、おんぶも長いこと言わなかった気がする。一時的な症状の戻りなのかそれとも成長によって引き起こされるストレスなのかわからない。あの「サカキバラ」のようになってしまうのだろうかと不安にもなる。
 何とか直してもう一度人生を歩み直させてあげなければならない。必ず直してやる。頑張れ父親、私にしかできない。
8月19日
 医大受診。非可逆的な「退行」が調べられない理由について、ほとんどの医者が「知らない」のだと言われた。学者も医者も知っているのはごくわずかだという驚くべき現実に愕然とした。
 セラピーカウンセリングの方向性は作れたものの、まだ早いような気がするという。余計な知識を仕入れてきたやっかいな患者という感じで話は打ち切られた。この後に及んでも虐待によるPTSDを否定する。
 確かにまだ言語化が難しい可能性は高いとは思う。セラピーカウンセリングをしなくても、成長して言語化できる時がくれば直る可能性があると医師は言うが、本には違うことが書かれている。どちらが正しいのかわからない。
8月21日
 夕方散歩に行かない。食事にいくら呼んでも来ない。ゲームを終らない。DVDを終らない。言うことを聞かないオンパレード。さすがにいい気持ちではいれない。話をしようとするがお説教はイヤだと叫ぶ。案の定フラッシュバック発作。布団に包まり、ごめんなさいと繰り返し、噛む、蹴る。憤怒失神も二回。収まるまで15分くらいだろうか。意識が戻っても眠くないからと寝ないでDVDを見る。DVDが終って「ごめんなさい」と異常に叫びながら寝る。
 おそらくまだ思ったより年齢が低く、反抗期の状態なのだろうと思われる。「言うことを聞かないとお父さんも祐樹君の言うことを聞かない」というような言い方はタブーのようだ。思ったより成長はゆっくりなのだろう。まだまだ先は長い。
8月23日
 夏祭りでいろんな友達と顔を合わせたり、声を掛けられたりした様子。二学期から学校に来いよなどということを言っていた子もいたようで、「明日は学校に行く」と言った。「6時に起こしてね!散歩するから」などとも言ってびっくりしたが、次の日はその興奮のせいか疲れたといって起きることはなく、一日始業式の日を間違えていたこともあって結局行かずじまい。まあ特に期待もしていないし、行ったところでまだ居心地は良くないだろうと思うと、行くことがいいことだとも思われない。でもそういう風に積極的にものを考えることができる日が一日でもあったのだから、前進していると思いたい。
 トラウマにアクセスできないものかとも思って、時々寝る間際に閉ざされた心の中に入り込むアプローチをしてみる。小学校の頃の話をしたり、お父さんが叱った話をしたり。そういう話になると「寝よう」「湿っぽい話は嫌いなんだよ」といって話を打ち切ろうとしたりする。どうしてもそういうものを回避しようとする意識があるのか、ただ幼くて面倒な話がいやなだけかはわからない。本当に悲しみを伴った感情は、退行によって意識の底に隠されてしまっているから始末が悪い。素人がそこにアクセスできる確率は極めて低く、危険性も大きいようなので諦めるしかない。年齢的にもまだまだ無理なのだろう。
 最近朝起こしてもなかなか起きなくなり、無理に起こそうとすると怒るようになった。お風呂や寝る時間の約束も守らないことが多くなった。怒れないのはつらい。生活のリズムが崩れるのは何よりも怖いし私が参ってしまう。
 要するにうつ病の状態だとふと思う。やる気がない、好奇心が働かない、何も興味が持てない。最初の薬では退行だけで性格までは変わらなかった。夏祭りの夜のように何かの刺激で興奮作用が起きれば元の性格に戻れるのだろうか。それとも日々悪い方向に向っているのか?フラッシュバックの発作が悪い方向に脳を持って行くのか?何もわからない。
 もしかしたら二度目の薬を飲んでからは性格が変わってしまったのは、感情が完全にリセットされて潜在記憶や発症後の環境の影響を受けた別の人格が育っているからかもしれない。一度原点に戻ったら同じく育つかどうかはわからないという方が理屈に合っている。
 従業員が祐樹君のために花火大会を企画してくれた。とても楽しそうだ。こんな人達ばかりだと学校にも行けるのだろうが。
9月1日
 間違って網戸を壊してしまった。誰も怒っても注意してもいないのだが、悪いことをしてしまった、怒られるという感情が働くのだろうかフラッシュバック発作が起きる。症状としては今までになく軽いような気もするが15分くらい続く。
 だっこして大丈夫だよと繰り返す。暑いと口にするので冷たい水を飲ませる。正気に戻っても少しとろんとしている。私にそばに居て欲しいらしく放そうとしない。徐々に落ち着いてくる。このせいもあって調子が悪いお母さんに一生懸命優しい言葉を掛けてあげているが、そのことが祐樹君にとってマイナスにならなければと不安になる。
 寿子さんの面倒をこれ以上見ていく自信がない。祐樹君の回復の足を引っ張ってしまうし、傷を深めてしまうような気がしてならない。どうすれば良いのかわからない。
○最近の生活パターン
・朝9時〜10時 起床
 ずっと八時までには起こすようにしていたがこの何ヶ月かいくら起こしても起きなくなってしまった。無理して起こそうとすると怒るようになった。
・朝食はパンやコーンフレークなど
 まともな朝食を取らせたいのだが起きるのも遅く食欲もない様子でとりあえず何でもいいから食べさせようとしている。
 ゲームをするかDVD(アニメ)を見る。
・午後1時頃昼食
 量は多め。チャーハンやラーメン、うどんなどが好み。野菜嫌いなので極力野菜ジュースを飲ませるようにしている。
 ゲームをするかDVD(アニメ)を見る。
 最近はゲームを買うのもDVDを借りるのも要求する頻度は少なくなってきた。
・4時頃おやつ。
 アイスやプリン、スナックなど量は多め。甘いものは減らしなさいと言っているがなかなか言うことを聞かない。野菜ジュース以外の甘いジュースは極力飲ませないようにしている。
・6時頃犬の散歩。
 お父さんと一緒に行くが専ら自転車で勝手に走っていく。一回200円というお金で釣って行かせている。唯一の運動で距離はできるだけ長くと思っているが2キロ程度。
・8時頃夕食。
 量は多め。きゅうりや大根など食べられる生野菜を必ず食べさせるように努力している。
 お姉ちゃんが帰ってくると一緒にゲームなどをして遊ぶ。お姉ちゃんは受験でそれどころではないのだが、唯一の遊び相手で遊ばないと気が済まないので、時間を区切って遊ばせるようにしているがなかなか時間を守れない。
・10時頃お風呂。
 あまり入りたがらないが何度も声を掛けて入ってもらう。頭くらいは自分で洗うようになったが体は洗ってやっている。そうしないと入らないし洗わないで終わってしまうので仕方がない。
 ゲームは10時までと決めているがなかなか約束は守れない。何度も言ってやっとやめる。
 歯磨きは歯ブラシに水をつけてこする程度。歯磨き粉をつけるまでには至っていない。それでもしてくれるようになったのだからまだいいと思っている
・11時〜12時就寝。
 寝る時間は11時と決めているのだがここ何ヶ月かは12時近い。早めに寝せないと家族が困るので努力しているのだが言うことを聞いてくれない。怒らないで言うことを聞かせるのはなかなか難しい。本を読んだり、耳かきをしてもらって寝るのが習慣となっている。
・土日は午後から翔君の家に遊びに行くことが多い。
 自分から出かける唯一の行事なので行かせたくはないが複雑な気持ちで送り出している。わがままで行くのだから一切送り迎えはしないことにしている。1キロ近くはあるが雨が降っても自転車で行っている。
・勉強は全くしていない。
 時間的にも昼間は見てやれる時間が無く、夜は見たいテレビがあったりするし、それでなくても調子が悪くなることも多いので難しい。何よりも本人に気力が無くストレスにもなるという段階でするべきなのかどうかもわからない。フリースクールや習い事も行く気にはならないようだ。
9月13日
 友達から借りたらしいHな漫画を見ているところを寿子さんが目撃しショックを受けて落ち込む。
 普通ならそんな時期が来てもおかしくは無いのだが、感情は幼児のまま体だけ大人になっていくのはどういう具合なのだろう、見当がつかないがそら恐ろしいものを感じる。ありのままを受け入れ見守る以外に方法はない。お母さんに見つからないようにしなさいとだけ話しておく。
9月14日
 新しい自転車を買う。お金があるわけでもないがゲーム以外で何か喜びにつながるものを与えなくてはとも思ってみる。とても嬉しかったようで、何かに繋がって行くことを願う。
 翌日は自分から外に出て、言われもしないのに自転車で走っている。新しい自転車が嬉しいようだ。今までに無いことで嬉しい。
9月20日
 医大受診。セラピーの予定が入っていて今日は先生の対応も良い。不信感はあるが他にあてになる医師も見つからないから仕方がない。
 「嬉しい」というのはとても大事なことで、どんな薬よりも退行からの回復に役立つとのこと。
 自転車を持って公園に出かけるが、ゲームをやりたくて早く帰りたいと言う。天気もいいし外で遊ぶのにもってこいの日なのだが、喜んだりがっかりしたりの繰り返し。
 私はとうに諦めているが寿子さんは諦めがつかないようで、時々「学校には行かないの?」と話しかけている。その時は学校に行ってもいいような話をするらしいが現実的にはまだまだ無理だろう。
9月25日
 寿子さんが首を吊った。あわやのところで助かった。祐樹君に犬の散歩してくれるように声をかけたのだが、ゲームに夢中で行きたくないらしく、冷たい言葉を掛けられて発作的にやったようだ。この時の詳細な記憶は無いらしい。薬が変わったことが影響しているのだろうか。第一発見者は祐樹君で、祐樹君の心の傷にならなければいいのだが。とりあえず死ななかったので良しとするしかない。それからお母さんに対してはやさしい対応をしているような感じがする。
9月26日
 猫をいじめる祐樹君を見て寿子さんが猫を奪って外に出る。祐樹君があわてて追いかけ「何だか自分でもわからないうちにやっちゃうんだよね」と自分から話をする。意識下にあるストレスの話などをしてみると、「学校に行ってないし、自分が一番下だから誰かの上になりたいんだよね」などという話をする。気持ちを言葉に出来るようになって来たのだろうか。
 どうにも寿子さんの行動は祐樹君の心を傷つける方向にしか働かない。原因は祐樹君にあるのだがそれは仕方がない。悪循環をどこかで断ち切りたいが、どうすればいいのだろう。
9月29日
 病院のセラピーの話をしたら予想外の拒否にあって驚く。まだ第三者の大人と会うことに恐怖感、あるいは馬鹿にされるような気持ちがあるのか、よくは解らないが短時間の発作が起きるほどの拒否。仕方が無いのであきらめる。ようやく方法論が見つかったように思えたのだが、本人が病気を理解し直そうと思わない限り無理なのだろう。いつかそんな時が訪れるのだろうか。
9月30日
 昨日のことがあったせいか朝起きない。無理に起こそうとするとビクッビクッと体を痙攣させ発作が起きてしまった。11時まで寝る。
 ゲームに興奮して「うるさいあっちに行け」などと叫ぶので注意すると、そんなこと言ってないなどというが「ごめんなさい・・・・」と短時間の発作が起きる。ゲームは性格を悪い方に変えてしまう、困ったものだ。
10月2日
 昨日からハロウインのかぼちゃを刻んで喜んでいる。今日は早いうちから着替えて外に出てきて従業員と戯れている。最近自分から外に出ることが増えたような気がする。
10月15日
 突然店を手伝うと言い出し、朝一声で起きて朝ごはんも食べず、ゲームにもDVDにも興味を示さずひたすら従業員と話をしながら手伝っている。それなりに役にも立っているようで、どういう変化なのだろう。以降三日間連続で朝から従業員が帰るまで続いている。今日は新しいゲームを買ったのにろくにやらずに手伝っている。どうしたの?と聞くと「そろそろデビューかなと思って」などと言っている。
 若い女の子が多いから何となく楽しく居心地がいいのだろうか。発病前もろくに手伝ったことは無いのにと思うと不思議でならない。とにかく部屋から出ていることはうれしい。自営業で従業員がいることが良かったと思えてならない。サラリーマン家庭なら引きこもったままだったろう。いい方向に続いてくれたらと願う。
 寿子さんの具合は悪く、13日には焼身自殺未遂。どうも発作的な異常行動が多いような気がする。薬が合わないような気がしてならない。寿子さん自身危険だし、家族も参ってしまう。何よりも祐樹君の心の傷につながって行く。何とか説得して薬を戻さないといけない。 11月26日
 片方の犬が難産で死んでしまった。一緒に穴を掘って埋めた。発症前に犬が死んだ時にはとても悲しんでいたことを思い出した。その時の気持ちには遠いが悲しい気持ちはあるようだ。
12月20日
 概ね良好な状態が続く。猫をいじめるような姿も見なくなった。
 寿子さんも薬の調整で次第に落ち着きを取り戻している。店が忙しくなくなったこともありお手伝いはあまりしなくなったが、お弁当を作ってやると従業員の所へ行って一緒に食べるなど、従業員の間を行ったり来たりして部屋に閉じこもっていることは少なくなった。少し注意したときに発作が起きそうになるが、完全に移行する前に収まったことが二回ほどあった。
 年賀状を作りに絵画教室に行く。続けてやってみないかと話をするとその時は強く拒否したものの、数日後に突然高校は諦めたくないから絵画教室に行きたいと言い出した。「絵画教室だけでもやっていれば、高校に行ける可能性がゼロではなくなるよ」と言った話を覚えていたのだろう。高校への道があるかどうかは別として新たな一歩だろうか。
12月23日
 小学校の同級生で仲が良かったが途中で転校して行った翼君から突然電話があった。遊びに来るというので部屋を片付けてやっていると何だかんだと文句をいうので「自分でやれ!」と少し怒ったところ「うわー!」とめちゃくちゃに暴れ始めた。久しぶりにスイッチが完全に入ったフラッシュバック発作が起きた。手を噛まれながら押さえて数分で収まる。体が熱くなっていて水を飲んで正気に戻る。完全に記憶は無く「気がついたらのどが乾いていて目の前に水があった」といっている。正気に戻ってからもとろんとしている間は「お父さんが怒った・・・」とうわごとのようにつぶやいている。
 PTSDによると思われるフラッシュバック発作には、ごめんなさいと逃げて隠れる状態と、暴力をふるったり暴れたりするものと二種類あるようにも思う。
 意識が戻ってからは何でもなく過ごすが、気のせいかわがままが強くなったようにも思う。退行の戻りがあるのだろうか。
2010年1月5日
 「絵画教室に通うだけで高校に入れるだろうか」などということを言い始めた。「行けない時には算数や国語も勉強しないとね、でも学校ではもうついていけないし、お父さんよりは家庭教師みたいな先生がいいかなー」というような話をしてくる。何かが少しずつ成長しているのだろうか。具体的にどんなすべがあるのだろうか。絵画教室へは冬休みが終わってからなどといって行かない。
1月8日
 映画に行った帰り、おしっこは?と聞いて大丈夫というので車に乗るが、すぐに「おしっこ」と言ったので「どうしてさっき行かなかったんだ」と強めに言ったら「ごめんなさい」と繰り返しジャンパーで顔を覆う状態となる。数分で正気に戻る。
 いい機会なので病院の先生に病気の話を聞いてほしいと言ってみるが、強く拒否される。自分が病気だとどうしても認めたくないようだ。明らかに同じことができないのに、自分は皆と同じなんだと言ってきかない。まだ時を待つしかないのだろう。
1月21日
 医大の医師に何となく不信感があって、本で知った隣県の子どもセンターを訪ねてみる。何となくお役所のような所で医師も頼りない感じがするがゆっくり話は聞いてくれた。発作は起こさなければそれに越したことはないが、起きても仕方がないので穏やかに成長を見守る方が大事でしょう、学校はストレスが多いのでまだ難しいかも知れない、無理しない方が良いでしょうとのこと。
 絵画教室へは休みながらではあるが通っている。とりあえず小学生の過程をもう一度やってみるようだ。店に飾ってある祐樹君の発症前の絵は、何人もの人が譲って欲しいという程魅力的なのにあんなへたくそな絵といって興味を持つ様子もない。発症前は絵画教室をとても楽しみにしていて、毎週欠かすことなく通っていたことを思うと複雑な思いにさせられる。
1月23日
 温泉施設に行った帰り、拾ったガチャポンのケースを植え込みに捨てた。注意するととんでもない屁理屈を言い出してお姉ちゃんのことを強く叩いたりするので、だまって捨てたものを拾いに出た。悪いことをしたと思ったのか降りてきて一緒に探し、最終的には見つかったが「ごめんなさい」と言わない。何も話す気になれず無言で帰宅すると、部屋にこもってしばらくすると壁に頭をぶつけ始めフラッシュバック発作が起きる。毛布をかぶり、「うわー」と叫びながら暴れる。抑えようとするが「さわらないで!」という。初めてのケースだ。最近になく長い発作で10分程度あったろうか。正気に戻ってからもとろんとしてご飯にも来ないような状態が30分くらい続く。少しご飯を食べてお姉ちゃんと遊んでようやくいつもの状態に戻る。
 屁理屈をいわないで「ごめんなさい」と言ってくれれば怒らずにすむのにと思うとやり切れない。怒らないようにとは思っているし、大声で怒るようなことはないのだけれど、怒っていると感じただけで発作が起きる。どう接していいのかわからない。
2月4日
 夜寝る前に、漫画家になりたい、でも勉強はしたくないしもう間に合わない、絵画教室であんな絵を描くのはプライドが傷つく、などと話し始める。最初の内は大丈夫だよ、いつか出来るよと言っていたが、あまりにも否定ばかりするので勝手にすればという感じに出たら今度は怒ってると怒り出す。
 どうにもこうにも不安と焦りで全てを否定することしかできないのだろう。あまりにも周りの人間に悪い子、できない子という否定を与えられすぎてしまったので、自信が無くし努力しても無駄としか考えられなくなってしまったのだろう。一歩づつ歩いて行けば近づくはずなのに、あの向こう見ずで楽天家の祐樹君はどこへ行ってしまったのか。すべては私が消し去ってしまったのだろうか。
 私は大切な息子を取り返しのつかない病気にしてしまった。いくら悔やんでもけして元に戻ることは無い。これは私のこれまでの人生全ての否定だ。49年何をしてきたのだろう。幸せも希望も全てが消えてしまった。すべて自分の責任だ。どうすればいい、何をすればいい?<
 私は変わらなければならない。私こそ一から生き直さなければならない。私が変わるために彼は病気になったのだ。私が変わることが唯一の贖罪の方法でしかない。私は祐樹君のために、自分のために生まれ変わる。そして祐樹君を治す。
2月5日
 3日ほど簡単な手術のために入院することになった。入院を機会に頭の中を整理してみる。毎日毎日追われるばかりで、ゆっくり本を読む時間も考える時間も取れていないのは良くないことだと思っている。
 思ったよりも祐樹君はまだ年齢が低いようだ。何もかもが無理なのだ。怒ってみても同じことの繰り返しになってしまう。確かに十二年はかからないのだろうが二年で十二年を取り戻すことができるわけではない。〇歳は二年で二歳にしかならないことを再認識すべきだ。私が怒らなければフラッシュバックはとりあえず起きない。私が怒らなければ祐樹君の心を傷つけない。祐樹君が私を見る時はいつも笑顔でなければならない。待とう、じっくり待とう。いつかわかってくれる日が必ず来る。全ては私が引き起こしたことなのだから。私が死ぬまでは待っていよう、そう決めた。
 寿子さんが占い師から勧められたというハワイの伝統的な教えの本を手にしてみる。宗教というよりはネイティブアメリカンにも通ずるような人生観、生死観に関する教えという感じがするものだ。
 私は一切宗教を信じない。慣習的な宗教も受け入れない。それは宗教が人の不幸と不安をネタにどれだけ人を欺き、犠牲にしてきたかを知っているつもりだからだ。
 この教えには宗教的で理解できない部分はあるものの何となくすんなり心に入ってくる。「すべての自分の身の周りで起きる悪い出来事は自分の潜在意識が引き起こしているもので、自分の内なる潜在意識を浄化することによってすべてを良い方向へ変えることができる」というような考え方だ。
 そうかも知れないと思う。自分を変えることで何かが変わるかもしれない。そう信じようと思う。
2月9日
 漫画家になりたいのだという。発症前は一度もそんなことを言ったことはない。感情年齢はまだまだ低いはずなのだが、発症前とは別な人間が育っているのだろうか?それとも環境による単なる嗜好の変化なのだろうか。通信講座をやってみたいというので資料を取り寄せる。自分の経験上通信教材というのはよほどやる気が無いと続かないことは知っている。今の祐樹君に無理なことはわかり切っているが否定することも出来ない。
 このままでは普通の高校に行くことはほぼ不可能なので、漫画やイラストを中心とした専修系の高校を探してみようと思う。もちろんそういう学校に行ける可能性も極めて低いとは思っているが希望だけは捨てたくない。
2月20日
 翼君のお母さんと顔を合わせてしまい、ほとんど翼君の方から誘われて遊んでいるのに祐樹君が誘っているように言われ頭にきてしまう。どうも学校に行っていない祐樹君と遊ばせることが不愉快なようだ。それを察した翼君が怒られないよう祐樹君が誘ったことにして嘘をついて遊んでいたようだ。
 お母さんに怒られたのだろう、それっきり誘いの電話は来なくなった。翔君と遊ぶよりは翼君の方が安心していられるのだけれど仕方ない。何も悪いことはしていないのにかわいそうでならない。

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