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これまでの研究の集大成

統合失調症は「治療」してはいけない

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第一部 副作用の記録


  4. 滲む風景 3年目

 3月18日
 子どもセンター受診。発作は起こせば起こすほど起きやすくなってしまうということがあるらしい。起こさないに越したことは無いということ。発作を起こさずにフラッシュバックに負けない心を育てられれば治る可能性もあるとのこと。頑張ろう。
 お姉ちゃんが大学に合格した。そんなに心配してはいなかったけど、なかなかハイレベルの学校のようなので頑張ったのだろう。私たち夫婦は他の親のように受験に対してそれ程思い入れは無い。一度も勉強しなさいと言ったことはないし、合格しようが落ちようが結果を受け止めればいいとしか思っていなかった。もちろんそうは言っても嬉しい。本当に良かった。こんな幸せな思いは我が家にとって二年ぶり、祐樹君の発症以来唯一の良いことかもしれない。
 ありがとうお姉ちゃん。
4月5日
 お姉ちゃんの大学の入寮の日。みんなで出かける。大学の周りはちょうど桜が満開だ。車の窓を流れて行く春霞みの中の淡い薄桃色の風景に涙がこぼれてくる。
 この二年間の苦しみの中でほんの少しだけ神様が幸せをくれた。神様がいるなんて思ったこともないけれど今だけはいる事を信じよう。大学に入れた喜びというより「良かった」という思いがあふれることの幸せに涙が止まらない。
4月8日
 修学旅行に行きたいという気持ちから学校に行くということになりそうだ。これをきっかけに何かが開けていったらと思うが、過度の期待を抱かずに待つことにしようと思う。
4月28日
 修学旅行には結局行った。
 何だかんだ言って最終的に行かないだろうと思っていたので少し驚いた。その前には二回だけ学校に行った。まあ期待していなかったから良かったと言うしかない。
 気に入っていた花粉症用のメガネを新幹線で無くした時に精神状態が不安定になったようだが、それ以外は特にトラブルも無く楽しかったようだ。少人数のグループ行動だったのが良かったようで、部屋では徹夜で遊んでいたらしい。
 風邪をもらってきてしまったようで調子が悪くて登校日に行けず、それからはまた行かなくなってしまった。まあ仕方がない、また待つだけだ。
 勉強を始めた。夜一時間だけ教科書を読む時間にした。けして喜んではいないが、言っていることをホワイトボードに書いたりしている。
 100%集中しているとは言えないまでもよくやってくれるようになった。字をまともに書くなんて二年ぶりかもしれない。ずいぶん成長を感じる。高校には行きたいようなことも言うし、もし来春高校に行きたいと言った時少しでもついて行けるようにと願ってのこと。もちろんまともな受験をしてということは無理だから別の方法を考えるしかない。
5月8日
 帰省したお姉ちゃんが遊んでくれず友達と会うのを面白くなく思っているところに、お姉ちゃんの対応のまずさも手伝って発作が起きる。一通りキレて暴れたところに私が行ったらしくそれからフラッシュバック発作状態になったようだ。収まるまで15分くらいかかったろうか。
 毛布に包まって暴れ、押さえようとすると蹴飛ばし、木刀でたたき、首を絞めようとする。最終的には少し眠って終わる。お父さんを突き飛ばした時に、ぶつかって痛いと言ったことは覚えているらしく、ごめんねといったりする。昼間仕事の手伝いをした時に失敗したことも悪い影響を与えてしまったのかも知れない。朝方久しぶりにおんぶをせがんだ、まだまだ時間がかかるのだろう。
 発作を起こさないように起こさないようにと努力してきたのだが、また振り出しに戻ってしまったことに落胆する。
 ネットを辿って行くうちに、2007年に会津若松で起きた高校生が母親を殺し首を持って警察に出頭した事件で少年が「抗不安薬」を処方されていたという記述を見つけて慄然とした。猟奇的、奇怪とも表現されている少年の行動を私はすべて説明できる。少年が同じ退行に襲われていたのは間違いない。少年は赤ん坊にされてしまっただけで何の罪もあろうはずが無い。
 何ということだろう、こんなことが許されていいのか。これで祐樹君がもともと持ち合わせていたものなどではない明らかな副作用であることが決定的となった。だが精神科医も警察も一切そのような疑いを抱いていない、誰も知らないのだ。もしかしたら私は大変なことに首を突っ込もうとしているのかもしれない。祐樹君と寿子さんのこと、仕事の事で手一杯なのだけれどこのことを放置していいとは思えない。
5月18日
 休みに潮干狩りに行く。最近はあまり出かけたがらず、行く前はぶつぶつ不満を言っていたのだが、行ってみたらとても楽しそうで夢中になってやっている。ふと、失ってしまった「楽しい」感情を再体験しているようにも思う。どういう仕組みで感情が出来上がっているのか誰か明確に説明してほしい。
 前の猫が逃げ出してしまったので新しくもらってきた。もういじめるようなことはないだろう。一人きりで部屋にいるよりは心が休まることを願う。
5月25日
 休みを取って遊びに行く。久しぶりに釣堀で釣りをする。思いの他楽しそうで、塩焼きをうまいといって食べる。とてもご機嫌が良さそうだ。
次にボーリングに行ったが、自分がお父さんよりもうまく出来ずに負けると、途端に異常なほどの不機嫌な状態になってしまった。「勝ってよかったね」などとイヤミを言う。うまくなるには努力するしかないのに・・・。まだそこまで感情が育っていないからなのか、それともどうせ自分は何をやってもだめなんだという負の学習によってそんな性格に固定されてしまったのか?ローラースケートを一生懸命やっていた頃があったのに。
 何か脳内物質のコントロールがうまく出来なくなってしまったような感じもする。わからない。ボーリングを終わって映画に行く頃には元通りに戻るが付き合っている方は大変だ。
 最近絵画教室も何かと理由をつけてサボるようになってきた。良くなってきたように思って期待しすぎてしまうのだろうか。
6月2日
 一日一時間の勉強が苦痛らしく最初の頃のように聞いてくれない。漫画を見ながらだったり、猫と布団にもぐりこんだりしながらいくら言っても本気に聞いてくれない。まだ無理なのだろうか。知らず知らずの内に期待して負担をかけているのだろうか。
来春学校に行くためには時間が無いと思って焦っているし、本人が高校には行きたいと言うので始まったことではあるが、学校に行くこと事体無理なのではないだろうか。もしそうなのだとしたらどうすればいいのだろう。このままだらだらと毎日遊ばせておくしかないのだろうか。楽しいことだけを重ねて成長を待つ段階でしかないのだろうか。負担をかけて無理を要求すれば、ついついこっちも怒り口調になって同じことの繰り返しになってしまう。それとも10%くらい聞いていればいいとして続けた方がいいのだろうか。
 猫と一緒に寝たいのだけれどなかなか猫が落ち着いて寝てくれず、眠いお父さんはついつい怒り口調になってしまい、それを負担に感じたらしくフラッシュバック発作を起こしてしまう。寝る頃だからと思って油断してしまったのかもしれない。15分くらい暴れる。元に戻ってお父さんが怒るのが怖いという。それほど強く怒っているつもりも無いのだけれど。
6月16日
 自転車で峠から30キロほどのダウンヒルに挑戦してみる。天気も良く気持ち良かったのかとても喜んで「今度はいつ行くの?」とはしゃいでいる。その表情があまりにも幼く見える。まだ小学校低学年程度かそれ以下の感情なのだと再確認する。
7月6日
 新しいゲームが欲しい気持ちが強くなったらしく、明日すぐに買って欲しいと言い出す。いくらなんでも予定より早すぎるし、お手伝いもろくにしていないし、お金も無いからもう少し待ってくれないかと言い聞かせようとしたのだが、どうしても自分のわがままを抑えきれずフラッシュバック発作を起こす。特に怒ってもいないし、もう少し我慢してくれと頼んでいるだけなのだが、どうにも感情のコントロールが出来ないようだ。発作は軽く「ごめんなさい」を繰り返してタオルケットをかぶることを断続的に繰り返す程度で暴れるまでには至らない。古いゲームを売って買うことで納得させたが、いつまでこんなことを繰り返すのだろう。
 もちろん一年前と比べたら各段に良くなっていると思う。発作が起こる頻度も少なくなってはいるし、退行もほんの少しづつではあるが成長は見て取れる。自分で体を洗うことも多くなったし、歯磨きもようやく歯磨き粉をつけて磨くようになった。絵画教室にも休みながらではあるが通って絵本を仕上げた。出来上がりは感情年齢程度だが頑張ってくれている。しかし、自分は何をやってもできない、誰とくらべてもへたくそ、そんな劣等意識はかなり強いようで何かにつけて顔を出し、努力すること、挑戦することを阻止してしまうようだ。将来への不安がぬぐえない。自分がその原因を作ったとはいえやりきれない日々が続く。
 寝る前の勉強はとりあえずストップした。気が向いた時に漫画の練習をさせる程度にしてまた機会を待ってみようと思う。
 芸術専修高校のオープンスクールに行こうと誘ってみる。行きたい気持ちはあるのだが、何か描く体験などがあるようでそれを馬鹿にされたりするのが怖いらしく行けないで終わる。まだまだ無理なのだろう。それとも一生無理なのだろうか。
7月9日
 自転車でのダウンヒルを別コースでやってみる。途中よそ見して転びけがをする。大事には至らなかったが、これでもうやりたくないなどということにならなければいいが。
 精神科の薬が絡む副作用や事件を調べて行くうちに抗不安薬ばかりでなく抗うつ薬や向精神薬などで起きる症状や犯罪例が退行によるもの考えればつじつまのあう共通点が多い事がわかってきた。でもこんなことに誰も気が付いていないなんてことあるはずがない。そう思って必死に調べてみるが何もヒットしない。もしかして私しか知らない、気が付いていないってこと?そんなばかな・・・。
7月18日
 近くの広い川原へ遊びに行く。流木や石を拾ったりの他愛のない遊びだが、ひどく気に入ったようで夢中になって長い時間川の中を歩き回り楽しそうだった。ゲームで無い遊びの時間を過ごさせたいと思う。
7月22日
 翔君と遊んで帰ってきたあと様子がおかしく、壁を蹴ったり皿を叩きつけたりしたと思ったら、「もう生きていくのはいやだ死にたい」と泣いて毛布をかぶり、手首をかきむしるような行動をする。解離状態のようにも思えるが意識はあるような感じもする。一生懸命「死なないで、大丈夫だから」と声をかける。「僕が悪いんだカードで勝つから、死んだ方がいいんだ、もう生きている意味がない、何もすることがない」などと言う。どうもカードの勝ち負けでいじめられたらしい。
 落ち着くまで30分以上を要した。ゲームを買ってやることにして気持ちを誘導することでやっと通常の精神状態に戻る。戻ってしまえばどうしてあんなことを言っていたのだろうというような顔をしている、やれやれ・・・。記憶はあるようで半解離状態なのだろう。あの状態の時に発作的に死んでしまえばすべてが終わってしまう。
 とりあえずこれで翔君との腐れ縁も切れそうだ。あまりにひどかったので文句を言いにいったら「俺は何にもしてない」とさもありなんの口調で最後は逆ギレして暴れだした。
 年老いた父親が手をついて謝る姿があまりにも哀れで親には文句を言えなかった。
7月23日
 お姉ちゃんが帰省したので休みをとって遊びに行く。新しい釣堀に行くがいやだと降りようとしない。新しい場所に拒否反応があるようで、人がたくさんいるのが余計不安感を強めるのか、てこでも動こうとしない。「じゃあいいよみんなで行ってくるから」と突き放したが、二度目の薬からすっかり新しい場所や初めて会う人、初めて接する事柄に恐怖感が根付いてしまったようだ。対人恐怖症のようなものなのだろう。心の病なのだから、別のアプローチを考えて乗り越えられるようにしてあげなければと考え直す。
 あれほど好奇心旺盛で物怖じしない性格だったのに、何が彼を変えてしまったのだろう。一生懸命話をしてみるが余計なお説教としか聞こえないようで、まだ小学校低学年の域を出ていないのだろう。あと何年かかるのだろう。それまで私は生きていられるのだろうか。恐怖は取り除かれるのだろうか。将来への不安が何もかも押しつぶしていく。
8月24日
 寿子さんのお父さんが亡くなってお葬式ということになったのだが、お葬式に行くのがとてもいやな様子。お通夜にだけは行ったものの皆のいるところに出て来ようとはしない。親戚の手前もあって何とか会場に連れ出そうとするが逃げ出してしまう。知らない人が多くいる場所の緊張感が大きなストレスになってしまうようなので、お葬式に出てもらうことはあきらめ家に残すことにする。どんな場所でも喜んで顔を出して困るくらいだったのに、すっかり性格が変わってしまった。何が怖いのだろう、何が心に訪れるのだろう。
 顔を合わせた寿子さんの叔父さんの様子がおかしい。聞けば脳梗塞で入院していたとのこと。異常な興奮状態にも見え、言葉や行動が乱暴で紳士的な獣医師だった面影は無い。ちょっとしたことで怒り出したりへそを曲げたり、仲の良かった奥さんにも暴力を振るうようになったそうで性格が変わったとみんなが話している。その様子は見れば見るほどは祐樹君の症状とそっくりだ。そうだったのか。さまざまな異常行動の原点である退行は、副作用説を掲げる多くの識者や専門家の言う脳内物質異常説ではなく、脳の直接の損傷によるものなのだ。薬は脳を直接傷つけるのだ。
8月28日
 翔君と縁が切れたのと入れ違いに翼君から電話が来てまた遊ぶようになった。夏休みの間翼君とその友達と毎日のように遊んだ。とても楽しそうで翔君でない友達が出来たことが何よりだ。夏休みのような夏休みを過ごした気がする。
 翼君の家は離れているので私が送迎するしかない。仕事を抜け出さなければならないのはつらいが、遊んでくれる友達がいるのならそれも仕方ないとするしかない。調子に乗ってわがままを言って困らせることも多いが諦めるしかない。
 友達が携帯を持っているのを見て自分も欲しいと思ったらしく、どうしたら買ってもらえるかという話をし出した。高校に行ったら買ってあげるという原則だから高校に行けないから無理だよと言うが、それでも突き放しすぎなのかもしれないので来春まで毎日少しづつ勉強を続けていけたらということにする。これから一生懸命頑張れば高校にだって行けるよと言っているのに絶対無理だと言って譲らない。
 夜の勉強をまた始めた。始めたばかりというのもあるのだろうが思ったよりも集中してやっている。引きこもりを直さないと何も出来ないよという言葉も思ったより素直に聞いている。
8月30日
 従業員二人と遊びに出掛けた。従業員が気を使ってくれて本当にありがたい。わがままを言って迷惑をかけるのではないかと不安にもなるが、若い女の子と一緒だからなのだろう、私たちと出掛けるよりとても楽しいようだ。
9月1日
 寿子さんがうつ病から脱出しようとする努力を始めた。今までは病院を変えるくらいしかできなかったが、ここ数年ですっかり弱ってしまった体に体力をつけるため犬の散歩を始めた。たかが散歩だが今まで何回言ってもする気がなかったのだからすごい進歩なのだろう。今月からはスポーツジムに通うと言い出した。うつ病は治そうと思ったらもう治ったようなものなのかもしれないとも思う。もちろん何かストレスがあればすぐ悪い状況になってしまうが、回復に向っていることは間違いないだろう。
9月8日
 夜に勉強を始めるが面白くないらしく集中しない。そのうち友達はゲーム時間の制限が無いとか、夜遅くまで起きててもいいとか、自分に都合がいいことばかり持ち出して不満を言い始める。どれだけ祐樹君の聞けないわがままを聞いているかと話しても聞く耳を持たず、あげ足をとるような態度ばかりとる。それだけ幼い感情年齢なのだろう。怒らないように一生懸命話をするがあまりの態度の悪さにあきれて突き放すと、怒られたと思ったのか自分の面白くない気持ちが限界を超えたのかフラッシュバック発作を起こす。
 毛布に包まって「やめろ、来るな」と叫びながら蹴飛ばす、叩くというような状態が10分ほど続き、水を要求して落ち着く。涙を流しながら友達からまたいじめられるんじゃないかと不安で仕方がないことを話し出す。その恐怖を打ち消すためにゲームで強くなりたいという。ゲームに強くなることで自分の存在感を示し、いじめられること防ぎたいという心理が働いているらしい。さあ、ここでどうするべきなのか。最近の友達と遊ぶこと、ゲームをすること以外の興味の持ち方、態度からある程度予想されたことではある。その二つ以外のことには何の興味も持てなくなって、無理やりやらされることはたとえ家族で遊びに行くことさえ苦痛にしか感じられなくなっている。ゲームに関しては依存症的症状を示しているように思う。
 勉強もやめるべきなのか、これ以上無理な要求を聞くべきなのか。眠れない、眠くないといいながらあっという間に寝てしまった祐樹君の寝息を聞きながら眠れない夜が過ぎて行く。結局何も変えないことで闘って行こうと思う。
9月9日
 新しいゲーム機がほしくて私の財布からお金を盗んだ。怪しいそぶりや証拠をたくさん残すのだからまだまだ幼いとしか言いようがない。結局昨日の出来事はこのことの伏線だったのだろう。また同じことを繰り返したことに大きな落胆を覚えるが、まだ幼い心で善悪の判断がつかず欲望に負けてしまうのだろう。いつか違う人間に育ってくれることを祈るより他に方法はない。
 怒らずに話させることが出来て、本人もいつものようではなく反省しているように思える。とろんとして発作が起きるのではないかとも思える瞬間もあったが、少し勉強もやる気になって(やらなければならないという心理が働いたのか)くれたので良かった。
 しかし寿子さんに話すと興奮して包丁を持ち出し、祐君を殺して自分も死ぬと言い始める。将来に明るいものを見出せないのは私も同じであって致し方ないが、今それを閉ざしてしまう理由もない。
 しばらくして落ち着いて寝たが、一つ間違えば全てが終わってしまう瞬間があまりにも多くて正直とてもやりきれない。全ての気力がこの二人のために奪われていく。自分が犯した罪の報いとはいえ、ため息の出なくなる日は遠い。
9月29日
 休みに三人で遊びに行くがいまいち気が乗らないよう。自転車のダウンヒルも前のように楽しそうではない。友達とゲームをすることだけが楽しいことになってしまったのか。普通ならそれも成長ということで理解できるのだろうがよくわからない。
 寿子さんに愛情を受けた記憶が消えている可能性が高いという話をする。どうしてもありのままの祐樹君を受け入れようとせず、嘆くばかりで心の傷を広げることしかできない寿子さんを見かねてのこと。私としては嘆いても何も始まらないし、もう一度一から愛情をかけてやり直さなければというつもりで話したのだが、うつが悪化して数日立ち直れない様子だ。
 確かに親にとって愛情をいっぱい傾けて育ててきた十二年の歳月と絆が消えてしまうことは耐えられない悲しみだ。けれどそれが目の前の現実で、受け入れざるを得ないのなら悲しんでいても嘆いてばかりでも何も始まらない。発症前はお母さんにべったりだった祐樹君が発症後はお父さんにしか近づこうとしない。祐樹君にとってお母さんは物心付いたときからうつ病なのだ。死にたい死にたいと始終つぶやき、寝ていることも多く、一緒に遊ぶことも、世話をしてくれることも、勉強を見てくれることもなく、祐樹君の悪いところを見ては落ち込み自殺未遂を繰り返す。祐樹君が愛情を感じるすべがないのだ。大丈夫、きっと大丈夫だから現実を受け入れて前に進もう。今の祐樹君を愛して行こう。
10月9日
 毎日遊びに行っていたのがたたって翼君のお母さんから学校へ相談が行ったらしく、中学校から呼び出しがあった。祐樹君が悪いわけではないと話したが複雑な気持ち。何でいつも悪者にされてしまうのだろうか。結局土日だけ遊ぶという条件にされてしまったが翼君はさらに厳しいことを言われているようで遊べる見通しは無い。
 大きな秋祭りに遊びに行くことで不安があったが、結局は短い時間か、遊びに行かなかったかで心配するまでもなかった。友達が祭りに参加していて遊ぶゆとりがなかったのが一つの理由ではあるが、どうも人ごみが緊張を誘うらしい。露天でも食べ物は買えずにコンビニで買ったらしい。近所の夏祭りとは規模の違う人の多さが冷や汗の出るような緊張をもたらすらしく、行きたい気持ちになれなかったらしい。一度バスで出かけさせたのだが、バスに一人で乗って遊びに行くのも緊張するからいやだという。ストレスが食欲につながっているなどという話もする。
 対人恐怖症的なものが強まっているような気がする。どうしてなのだろう。
10月18日
 寿子さんがまた病院を変えた。その度に振り回されてしまうので反対するのだが言うことを聞かない。
 そのHクリニックで祐樹君の事も見てくれるからと寿子さんが勧めるので、あまり気が進まないながら薬を使わない対人恐怖症の治療ということで連れて行ってみる。嫌がってはいたがゲームで釣って何とか成功。
 簡単な心理テストを行う。抵抗なく出来た様子。医師はいまいち頼りない感じで不信感が募る。前もって記録を渡しておいたのだが読んでくれた様子がない。心理士はとてもいい感じがする。続けて通ってくれればいいが。
10月26日
 割と暖かかったので今シーズン最後のダウンヒルに挑んだが、出発して間もなく寿子さんが運転して伴走している車のドアに手を挟んでやる気をなくしてしまった。そういえば小学校低学年の頃、こんなことがたくさんあったような気がする。
10月28日
 Hクリニック二度目。今度は一時間半の心理テストを行う。どうなるかわからないがとにかく通いだしたのだから見込みはある。心理療法によって何某かの好転を期待する。緊張を和らげるためなのか待ち時間に一生懸命私に話しかけてくる。
11月5日
 Hクリニック三度目。結局治療することは出来ないという。頑張れないから治療したいといっているのに頑張って乗り越えてと言っている。あきれて言葉が出ない。見てあげられるからと言ってあれだけ検査して何も出来ないとはどういうことなのか。せっかく祐樹君が治そうという気になったのにかえって悪い影響を与えただけではないか。やぶ医者め。やはりこれが本にある通り儲かるから、何があっても訴訟が起きないからという程度で増えている精神科、心療内科の実態なのだろう。
12月8日
 寿子さんがカウンセリングに通い始めた。私が祐樹君のことで調べているうちにネットで見つけた所で「どうしてもっと早く通わなかったのだろう」としきりに口にする程効果があるようだ。病気を作り出している自分でもわからない意識の深層や潜在意識を心理士が導き出し、自分できちんと認識して行くという方法でストレスやその原因をなくしていくらしい。今まで薬を飲む以外方法論が見つからなかった病気に回復の道が開けてきたのかも知れない。若いのだが知識と経験が豊富な心理士との相性が良いらしい。息子のことも話してみると今までに無い鋭い答えが返ってくる。やっとまともな専門家に出会えた気がする。
12月10日
 ベッドが欲しい、一人で寝たいなどという。発症前は一人で自分の部屋にベッドで寝ていたが、発症してからはずっと私と一緒に布団を敷いて寝ていた。とりあえず使っていない折り畳みベッドを入れてみるとしばらく喜んで寝ていたが、この数日は私の布団に降りて来て寝ている。最近はご飯の時を除いて寝室に引っ込んで漫画やDVDを見たりゲームをしていたりしたのだが、ここ数日は居間にずっといたり、トランプをしようと言ったり、ふざけてまとわりついたりしている。寝る間際にもたくさん話しかけてきたりしている。
 心理状態がめまぐるしく変化する。成長の過程なのか、ただ不安定なだけなのか。
12月18日
 近くの神社の賽銭箱を壊して賽銭を盗んだ。翼君たちといっしょだったから誰が一番悪いのかはわからない。警察には通報されなかったものの、学校には連絡するとのことなのでもう翼君達と遊べなくなることは間違いない。そもそも親に内緒で遊んでいる翼君が招いた結果だとは思う。それを知りながら遊ばせていた私も悪いのだが、全くよくやってくれる。今まで家からお金を持ち出しても怒らず、一生懸命話してわかってもらえたと思って信じてきたのに残念でならない。
 お金を持つことで友達との間で優越感を持ち、いじめられないように、ばかにされないように、という思いがお金が欲しいという気持ちにつながったらしいことを話す。祐樹君にも良い所があるし、これから頑張ればいくらでも追いつけるからと話すが何もかも否定するばかりでどうしようもない。例によって寿子さんの具合が悪くなり祐樹君を追い詰めてしまって発作が起きる。発作自体は短時間でとろんとして眠ってしまったがこういう時の二人の相性の悪さは困ったものだ。
 まだまだ善悪の判断がつかないといえばそれまでだが前途多難。たった数千円のお金の為に友達を失い、欲しいものも買ってもらえなくなった、自業自得と反省してくれればいいが。
 11月には翼君がその辺の古タイヤを持ち出し転がして遊んで車に当てて7万ものお金を支払ったばかり。その時に「今度悪いことをしたらもう遊べなくなるよ」と一生懸命注意したのに。またお金がかかる。
 悪いことはすべて友達がらみだ。翔君たちに脅されてお金を持ち出したこと、友達と遊ぶゲームほしさにお金を持ち出したこと、そして今回のこと。親バカかもしれないが祐樹君はそんな悪い子じゃない。友達と一緒になることで抑制が効かなくなってしまうだけなのだ。ましてや善悪の判断は小学校低学年並みなのだから。
 夜寝る間際にもう友達は作れないし、迷惑をかけるから作りたくない、一生一人ぼっちだと言い始めた。いくら大丈夫だよといっても耳を貸さない。どうやら自分は何をやってもだめなんだ、出来ないんだという最悪のスパイラルが加速したらしい。自分が招いた事とはいえ、せっかくいい方向に向いているかに見えた回復の兆しもすべてこれで終わりのようだ。もう二度と学校にも近所に遊びに行くことも出来ないだろう。高校にはもちろん、かすかな望みをつないでいた通信の高校にも行ける可能性はなくなった。完全に家から外へ一歩も出られない状態になる。この先何年続くのだろう。三年間積み上げてきたものが全て音を立てて崩れていった。悪いことをしたこと自体は仕方ないし驚くようなことでもない。そのことで祐樹君の心が必要以上に傷ついてしまったことが私にとってはショックだ。祐樹君をどうやって導いてやったらいいかもう方法論が見つからない。
 寿子さんの具合は悪い。死にたい死にたいと繰り返し、日曜なのに起きようとしない。その行動が祐樹君の傷を深くしていく。いくら言ってもわかってくれない。もちろん明日に何の希望もないし、明日また悪いことが繰り返されるのかも知れないが、せっかく生きてきたのだから幸せで死にたい。たとえその日が来なくても死ぬまで待っていたい。
12月20日
 学校へ行って先生と事の経緯を話す。今回は初めて校長も加わって話をする。こんな時だけ校長が出てくるのかと思って身構えてしまったが、話を理解しようとしてくれようとする校長のようで安心する。注意というよりは祐樹君の今後を心配してくれているようだ。まあ学校に何かしてもらえるとは思っていないがありがたく頭を下げる。
 あまりにも私が絶望しているように見えたのか私の苦労をもう少し理解してくれる人を作るべきというようなことも言ってくれた。絶望することが日常になってしまっていてそういう思考になってしまっているのかもしれない。もっと希望を持たなければ。
12月24日
 顔を見せないことを気にした従業員の発想でうまく誘い出すことに成功した。一度部屋を出てしまえばずっと従業員と一緒にいたりするようなのでホッとする。感謝。
 寿子さんも友人に賽銭泥棒のことを話したら、「そんなことで何を落ち込んでいるの」と笑われたことで良い方向へ向う。男の子にはそんなこといくらでもあること、そのこと自体は大したことではない。
12月30日
 お姉ちゃんが冬休みで帰省した。今までに比べてお姉ちゃんを独占しようとする様子が見られない。友達と会うために出かけても何も言わない。今まではお姉ちゃんに手伝いを頼んだだけで大騒ぎしていたのに。成長したのだろうか。
2011年1月4日
 また店に飾ってある祐樹君の絵をお客さんに欲しいと言われた。たまたま祐樹君が居合わせてまんざらでもなさそう。譲れないのでカラーコピーを差し上げるということで納得いただいた。親としては漫画でなくてそういう「絵」を目指してくれたらと思うが・・・。
1月10日
 タイミングと二人の気分によってではあるが、寿子さんと祐樹くんとの話が漫才のように回るようになってきたように思う。もともと二人とも明るい性格なので発症前はそういうことも結構あったのだが発症後はすっかり消え去っていた。笑顔のキャッチボールができるようになってきた。祐樹君の成長と寿子さんの回復が良い相互関係を作り始めたのだと思う。
 祐樹君がサスペンス風のドラマや映画、外国の連続ドラマなどを喜んで見るようになった。アニメ以外のものに本格的に興味を示すのは発症以来だ。
1月13日
 今年行きたいのなら何かを少し頑張らないというのだが、行きたいけど怖くて行けない、普通の勉強も漫画の勉強もしていないから自信がない、いじめられないように何か自信を持てるものを持って行きたいと言う。それなら一年遅らせてその間勉強したらどうだいというと、どうしても今年行きたいと言う。行きたいなら勇気を出せば行けるんだから大丈夫だよと繰り返すが、行けないといって聞かない。じゃあどうしたいんだよというと、親なんだから考えてよといって怒り出す。何をどう話せばわかってもらえるのか、何を求めているのかどうしても理解できない。
 しまいにはテレビドラマに出てくるようなやさしいお父さんを考えてしまった自分が悪い、と言って怒り出し発作を起こしてしまう。全く怒っていたわけではなく、一生懸命話をしようとしていただけなのにどうして話が通じないのだろう。私が悪いのだろうか?どうしてもそうは思えない。
 発作は軽いもののようだ。意識が無くなってうわごとのように、ごめんなさい、ごめんなさい、うるさい、だまれ・・・と繰り返すのが20分くらい続いた。水が欲しいといって正気に戻り、どうしたの?と言ってくる。発作が起きたんだよと話す。ふーんと言って少し話をして眠る。お父さんの言っていることはわかるんだけど、自分のデリケートな部分だから言い方が悪いのだという。注意して怒らないようにやさしく話しているつもりで、勝手に怒り出したのは祐樹君なのだが、何かが理解できていない部分があるのだろう。理解する自信がない。
 最後に東京にある病院に行こうと話す。初めは行きたくないと言っていたが必ず治るからと言うと「本当?」と言ってくる。
1月19日
 隣県の芸術系専修高校を見学に行く。行ってみたいとは思っていても、怖くてなかなか行きたがらなかったのだが、ゲームで釣って連れ出すことに成功。バスを使って通学と同じように行ってみようと思ったが、何だかんだと文句を言うので仕方なく車で行くことにする。冷や汗が出る、緊張するというものの、行ってみれば何とか建物にも入れるし先生とも話が出来る。不安なことを全てぶつけて本人に納得してもらう作戦が功を奏し、気に入って入りたいと決心したようだ。とりあえず作戦成功!一歩を踏み出した。何がどうなるのかはわからないが道が開けたことは間違いない。現実的に通うのは距離も遠く大変だし、私立だからお金も半端でなくかかる。究極の無駄遣いに終るのかもしれないが、道がある限り否定することはできない。
 東京の病院も予約を取ってみようと思う。
1月22日
 翔君とまた遊びたいと言ってくる。スーパーに買物に行った時に顔を合わせて話したらしい。あれだけのことがあったのに懲りないことにただあきれる。翼君と遊べなくなってからつまらないのもわからないではないが、せっかく明るい明日が開けたと思ったのもつかの間でショックは大きい。一通り話すだけのことを話してあとは仕方がないと思うしかない。反抗的な態度も成長の証なのだろう。なるようになると考えるしかない。
 卒業文集に載せるものを考えているうちに詩を書くということになった。割とメルヘンチックな内容で、言葉を考えることが面白いのか勉強時間をはるかに越えて寝る時間を過ぎてもやっている。こういうものに興味を抱くということが初めてで少し驚いている。
1月24日
 絵画教室に行きたくないと言う。わがままなことばかり言っているから言うことを聞くのかと思ったらそうではなかった。この期に及んでこういうことをするのかとがっかりしてしまう。怒りたくないが笑顔を作れない。週に一回二時間だけの絵画教室に行けないのに学校になんて行けるわけが無い。無理なのだ。まだまだ無理なのだ。お金の無駄だし、期待してがっかりして怒るのも飽き飽きしている。まだまだ待つしかないのだと思う。待って果たしていいことがあるのだろうか。
 翔君とは一度遊ぼうとしたのだが待ちぼうけをくらって、それ以来は遊びたいと言い出さない。何か考えてくれたのだろうか。
2月1日
 東京の病院に行くのは怖いから行きたくないと断られた。仕方がない、またの機会を待とう。
 学校には行く気でいるらしい。無理しなくてもいいんだよと言ってみるがどうしても行くと言う。まあなるようになれだ。
2月8日
 映画を見に行く。席の場所についてどこでもいいと言ったのに、あんまり前の席だと人に見られるからとか文句を言い始めた。それほど人が多いわけでもないのに落ち着かない様子。何でこういう性格になってしまったのだろう、発症前とは別人のようだ。
 どうしてなのだろうと考え続けて、ふいに、錯乱状態に訪れた恐怖はもしかしたらそれまでの負の記憶ではないかと思った。私を含め、彼を苦しめた全ての人間の負の記憶が異常に増幅されて彼の脳を襲ったのではないだろうか。もしそうだったら彼の対人恐怖症が説明できるのではないか。ずっと謎だった彼の性格の変化の原因が掴めたようにも思うが、だからといってどう解決して行くことが出来るのかはわからない。
2月16日
 寿子さんのカウンセリングが成果をあげているようだ。回復が著しいので卒業が近いでしょうと言われたらしい。あとは薬を減らしていく方法論だけになって行ければいいが。
 休みなので町に出かける。祐樹君も行くというので三人で出かけることにする。まあ普通の楽しい休日なのだが、祐樹君のわがままに振り回されてしまうのが寿子さんを疲れさせてしまうようだ。休んだ気がしなかったらしく気持ちが落ち込み始める
 もともと発症前から二人の相性はそう良かったわけではない。発達障害のさまざまな弊害を受け入れられず、一緒の時間を避けるような一面もあった。今はなおさら親の気持ちより自分の事でいっぱいなのだろう。私と二人で休みたいのだろうが祐樹君も一人でいるのもつまらないだろうし、行くと言う限りは連れて行きたいと私は思っている。休日くらい祐樹君からも解放されたい寿子さんにとっては、私が誘うのがうらめしいところがあるのだろう。別々に休みを取ってあげられるほどゆとりがあるわけでもない。良くなっているようでもまだ完全な回復は遠いようだ。
2月18日
 面接に着て行く制服を着れるかどうか試してみるが、きつくてかっこ悪いからいやだと言い始める。確かに随分太ってしまったからきつめではあるが着れないわけではない。かっこ悪いのを見られるといじめられると騒ぎ出すので「わがままもいい加減にしなさい」と少し怒った。発作は起きなかったが機嫌が悪そうに「一人で寝る」と部屋のドアを閉めてしまった。
 いじめられることへの恐怖が、少しでも原因となりそうなことを避けたいということに繋がるのだろう。それよりも性格を直したり、勉強を頑張ったりする方がよほど効果的だと思うが、自分のことを棚に上げて人のせいにするのは楽だからわがままをいうのだろう。高校に行こうとする子が言うようなことではないが、まだまだ幼いのだから仕方ないと思うしかない。やれやれ、次から次によくも悩みの種を作ってくれる。
 翌日、わがままを言う前に本人の努力を促すよう発想を変えて、散歩を朝夕二回、距離を長くして行うことにする。食事やおやつも少し制限を加えたダイエット作戦を入学式まで続けることにする。初日は素直についてくる。
2月24日
 明日は専修高校の面接の日。私立でもあるし、不登校でも受け入れることをうたっているのだから入学は出来るだろう。 祐樹君はすでに身長も体重も、手や足の大きさも私を超している。誰がどう見ても話しても年齢相応であることを疑う者はいないだろう。けれどもまだ発症から三年しか経っていない。確かに赤ん坊が育つスピードよりは速いように思うが、私が見る限り感情はまだ小学校低学年の域を脱していない。この状態で高校という世界に飛び込んで果たしてやって行けるのだろうか。
 普通の高校とは違って少人数で校則が緩く、体育などの授業もなく全体行事も少ない。絵や漫画が好きな子が集まっているのだから、普通の高校に比べれば居心地は格段にいいとは思う。とはいっても忍耐力も集中力も学力も足りないし、人間関係のストレスにも極端に弱く発作の不安も抜けない。外に出て社会とかかわりを持つことだけが望みだったが、いざ出て行くとなると不安も大きい。
2月25日
 面接当日。午後から車で出かける。
 制服のことも今日は何も言わない。緊張と幼さは感じるものの立派に受け答えをしている。一生懸命入学したい、今まで学校に行かなかった分も頑張りたいと訴えている。そんなせりふ練習した覚えはない。自分で考えて話している。その姿に私が参ってしまった。試験官の前なのに熱いものがこみ上げるのを押さえきれなくなってしまった。
 こんな時が訪れるとは思っていなかった。三年の日々が頭を駆け巡って行く。帰り道の風景が滲んで見える。今日だけかもしれないがこの余韻に浸っていよう。
 これからまだまだ大変なことがたくさんあるだろうとは思う。でも大丈夫、きっと大丈夫。きっと乗り越えて行ける。祐樹君も私も寿子さんも。きっと明日を見つめて歩いて行ける。そう思う。
 家族で唯一花粉症の祐樹君に症状が出始めた。三度目の春がやって来る。



その後
 祐樹君は入学を果たし、高速バスで一時間半の道のりを毎日通っている。本当に通うことが出来るのか不安だったが思ったよりも自分でがんばろうとする意志を感じる。時々休んだりはするものの勉強も一生懸命で家族の方が驚いている。人と安心して交流が出来ることが急激に彼を成長させているように思う。発作もほとんど起きなくなった。その様子が寿子さんを安心させうつ病を鎮めてくれる。
 寿子さんの抗うつ薬は量を減らし、私の一存で止めさせた。結果的に何も起こらなかった。
 7月に白馬登山に出掛けた。雨に降られて散々だったけれど、まだ完全に回復したとは言えないまでも話の通じる祐樹君、山ガールファッションに身を包み楽しみにしていた娘、うつ病ですっかり弱ってしまった体を気持ちだけで持ちあげる寿子さんと歩む、家族の幸せを感じた四年ぶりの山旅だった。




おことわり
 この記録はもともと公開を目的としたものではない。公開に際してプライバシーに関する部分、表現がわかりにくい部分など大幅な加筆、修正を行った。
 本来なら実名で公表すべき事柄だとは思っている。しかし息子はまだ15歳の未成年で自分の病気を理解することすら難しく、起きた出来事を受け止められるだけの精神力を持っていない。
 いつか息子がすべてを受け入れて、納得することがあったら実名での公表もするつもりだが今の段階では仮名での公開とさせていただくことをお許しいただきたい。

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