智恵子抄の真実


  詩人高村光太郎の詩集「智恵子抄」で多くの人が知る妻高村智恵子は、1886年福島の酒蔵に生まれた。

日本女子大学に進み洋画家を目指し、1911年には雑誌「青鞜」表紙絵を描いた。若き女性芸術家として注目される中、高村光太郎と出会い結婚する。結婚後は貧しい生活の中で創作活動を続けていたが、実家の没落、病気などが原因で統合失調症となり、1931年に睡眠薬「アダリン」を大量に服用し自殺未遂。幸い命は取り留めたものの統合失調症が悪化しゼームス坂病院に入院、病室で多数の紙絵を生み出したが1938年肺結核によって死去した。

智恵子抄は結婚する前から死後まで30年に渡る光太郎の智恵子への愛を綴った名作として知られ、ひたむきで純粋な「愛」の象徴として人気を集め映画化もされた。私も若い頃その美しい愛の姿に心打たれ憧れた。しかし年を重ねるにつれ光太郎の愛が奔放で自分勝手なエゴイズムでしかなかった事に気づくようになった。智恵子が精神を病んだきっかけは実家の没落でも、芸術的行き詰まりでも何でもなく、光太郎が智恵子の愛と心を理解しようとせず自分の愛だけを押し付けたからにすぎなかったということも。 更に年を重ねた現在、智恵子の統合失調症の発症と自殺未遂、その後の統合失調症の悪化に新たな疑問を持つようになった。

自殺未遂を起こした智恵子と同じ世代を生きた作家芥川龍之介と太宰治はともに自殺している。この3人に共通するのが睡眠薬「アダリン」の服用である。(他の睡眠薬だったという説もある)この段階で疑問を持たなければならない。 いやいや天才と狂気は紙一重と言うのだから別におかしくもないだろう。誰もがそう解釈し一つの時代を彩った文化人の死を納得した。しかし睡眠薬の服用だけではなく統合失調症だったことまでもが一緒なのだから事はそう簡単ではない。太宰治は境界性人格障害だったという説もあるが広義では統合失調症の範疇である。 統合失調症の発症とアダリンの服用がどういう時期関係にあるかが重要だ。少なくとも智恵子の場合はアダリンを服用するようになってから「統合失調症の兆候」が表れている。自殺未遂の前の年に光太郎の母親に「死にたい」とこぼすようになったとされている。これは現代では「うつ病」の症状にも思えるが統合失調症と思って間違いないだろう。 アダリンについては調べようがないが現在一般に用いられているベンゾジアゼピン系と呼ばれる睡眠薬には統合失調症の発症・悪化が「重篤な副作用」の一つとして添付文書に記されている。

 統合失調症は自然にも発生し「ストレス」がその主な原因とされている。不眠というのは多くの場合ストレスによるものだから統合失調症を発症することは不思議でない気もするのだが、そこに睡眠薬が関わっていれば全く話が違ってくる。この三人がストレスに弱い遺伝特性「COMT遺伝子多型」であったことを示す根拠が存在する。この特性が芸術的資質と無縁ではないと私は考えている。 誰もが信じて疑わなかった歴史の一幕にもこの副作用が深く関わっている可能性が高いということである。この副作用は80年以上前から存在している。それに気付こうとしなかった精神科医の罪は重い。

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