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これまでの研究の集大成

統合失調症は「治療」してはいけない

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第2部 驚愕の副作用の真実


 1. 感情が赤ん坊にリセットされる

 
○記憶と感情の違い
 
退行という言葉はあまり聞き覚えの無い方も多いと思う。わかりやすく言えば「赤ちゃん返り」ということだが、一般的には、弟や妹が生まれてかまってもらえなくなった上の子が幼い甘えん坊に一時的に戻ってしまうこと、また解離性障害の症状として一時的に現れる、赤ん坊のような一つの人格としての症状を指すようだ。

しかし息子の場合の退行は全く異なる脳の非可逆的現象で、元に戻ることのない半永久的な退行である。「赤ん坊の脳波が出ている」というある医師の脳波検査の解析に全ての答えがあるのだと思う。

発症まで、人間の感情というものはさまざまな物事の記憶と共に脳に記憶されているものだと思っていた。しかしそれは全くの見当違いで、脳での記憶の場所が一般記憶と感情では全く異なっているらしいのだ。つまり「お母さんに抱っこされた」という「記憶」は一般記憶で「抱っこされて幸せだった」というのは感情の記憶ということになり保管の場所が異なるのだ。この感情記憶の積み重ねによって「人格」が形成されていくことになる。 物事の記憶や知識、言葉は何一つ消えることなく、感情だけが幼児や赤ん坊に戻ってしまうのが非可逆的な「退行」という症状である。言ってみれば「感情記憶の喪失」ということになる。

お母さんの名前も顔も覚えている。お母さんに抱っこされた、遊んでもらった、おいしいご飯を作ってくれた、運動会に来てくれた・・・すべての記憶は正確に残っているのに、お母さんが大事な人であること、あらゆる出来事に付随する「幸せだった」「悲しかった」というような「感情の記憶」が消去されているのである。この事実を理解できる方はほとんどいないだろう。 信じがたいことにほとんどの医師はこの症状の知識すら無いらしい。たとえこの症状で病院に行っても退行と診断される事はまず無い。この症状は言ってみれば究極の発達障害という見方もできて、以前の状態を知らない医師にとってはもともとそういう性格だったと判断する事しかできないようだ。

12歳の中学生が赤ん坊に戻ってしまう。そんなことあるわけがない、と私も思っていた。この話を他人から聞いたとしたらおそらく一笑に付していたことだろう。 私見の域を出ないが一度目の薬でおおむね三歳、二度目の薬で〇歳くらいまで退行したと思っている。二度目の薬のあと赤ん坊の脳波が確認され、赤ん坊の症状である「憤怒失神」が起きるようになった。

どうして一度目の薬で気づかず同じ過ちを犯したのかと問われるだろう。そのことに関して私もどれほど後悔したかしれない。けれど退行というものが世の中にあることも、それがどのような症状を示すのかも全く知らないのだから、医師がその事実を認めなければわかるはずがない。おかしいおかしいと思いながらも目の前の発作を止めたいばかりに医師の言うがまま薬を飲ませてしまった。副作用は数日で抜けるものとして譲らない医師、いくら調べてもそんなに長く続く副作用は無い(実際はあったのだがそれをこの症状と結び付けられなかった)という現実の中では、おかしいと思いながらも医師の言うことを聞くより選択肢はなかった。

医師は解離性障害から回復する過程で退行が起きるとも言った。しかし、最初の薬を飲んだ時点から退行が起きていたことは明確で理屈が合わない。二度目の薬でも解離性障害が起きる前から更なる退行が起きていたと思われ、こじつけの感が否めない。

○赤ちゃん言葉には戻らない
 赤ん坊になってしまうといっても、バブバブという赤ちゃんに戻るわけではない。知識と記憶は正常なのだから、赤ちゃん言葉には戻らず、言葉遣いは悪くなるが普通に使うことが出来る。「感情」だけが赤ん坊に戻ってしまうのだ。

その状態を理解していただくのはとても難しいことだと思う。私でさえ目の前で起っていることを理解するまでどれだけの時間がかかったことだろう。ある心理士はそういうことが起こればおむつを付けるようになるはずだと言ったが、そうはならないのである。

お風呂に入るのを嫌がる。歯磨きを嫌がる。勉強を嫌がる。学校に行くのを嫌がる。ゲームはやり始めたら止められない。食べたいものを食べたいだけ食べる。欲しいものを次から次に買う。要は本能の赴くままとんでもないわがままになってしまうということである。理性が無いので欲求を行動に移さない理由が無いのだ。知識と記憶は年齢並みなのだから欲求はとんでもない方向や金額になって行く。

叱ればいい、言って聞かせればいいと思う方も多いだろうが、赤ん坊とは違って大きな体と知識を持っているのだから簡単に行かないし、叱れば発作を起こしてしまう。何よりもいくら話しても理解する「感情」を持ち合わせていないからとても難しい対応を迫られた。

歯磨きをやってあげ、何十回と声をかけてようやくお風呂に入れ、頭や体を洗ってあげなければならない。食べ物を隠したり取り上げたり、ゲームを終わってねと何十回も声をかける。もちろん発症する前はすべて若干の遅れはあったとしても年齢並みには出来たこと、ある程度は抑制が出来ていたことだ。

わがままなだけではない。布団に隠れて「僕どこにいる?」と探させたり、狭い部屋の中でかくれんぼや鬼ごっこ、寝室にダンボールで基地を作ったりという幼児の遊びに付き合わなければならない。テレビやDVDもアニメばかり。おんぶやだっこを要求する。体の大きい中学生を相手に、もう一度幼児期を繰り返さなければならないのは体力的にも精神的にもかなりきついものである。もちろんとうに卒業した遊びばかりだ。

 これらのことを笑顔で許し、つきあうこと、怒らないこと、無理を要求しないこと、期待しないこと、待つこと、これが私に課せられた罪の償いということになった。

 

○記憶・体と感情のアンバランス
 本当は赤ん坊なのだが本人は中学生のつもりなのだ。友達もみんな自分と同じだと思っている。同じはずなのに自分だけが勉強をしたくなくて、同じ行動が出来ないのだから学校での居心地がいいはずはない。記憶と感情のアンバランスがさまざまな問題を起こすのだが、本人はどうしてなのか理解できずストレスとなっていく。もちろん自分がおかしいこと、以前と違う事には全く気がつかない。

 みんなと同じ勉強や遊びに興味が持てなかったり、面白かったはずのテレビがつまらなくなったり、好きだったものの理由がわからなくなったり、怖かったものが怖くなくなったり・・・。不思議なことに「こういうことを考えていた」という言葉や映像でイメージされた記憶は残っているのに「感じた」感情の記憶は消えているのだ。矛盾は本人も感じるらしいのだが、自分の中でどう処理していくものなのだろうか。

さらに変な部分だけ中学生並の情報が入ることによって問題はより複雑になる。 また、体は普通に成長して行く。中学生の時期は第二次性徴が顕著になり、通常は心の思春期と共に成長していく時期である。けれども感情が未成長なまま体だけが成長するということはとても困った現象を引き起こすことになる。 数は少ないが一緒に遊べるレベルの友達から中学生並の情報がもたらされ、気が付くとHなネットのサイトを見ていたりして驚いたりする。普通の中学生ならある程度は仕方がないとするしかないが、幼い感情の中でどうやってコントロールさせていったらいいか正直困惑するしかなかった。

 
○子どもは天使ではない
 退行は感情の記憶を消し去っていく。怖い、辛い、悲しいといった感情はもちろん、愛されたという記憶、愛されて幸せだったという記憶も消えていると思われる。だっこされた、遊んでもらったという一般記憶は正確に残っているが、それに伴う感情の記憶が消去されてしまっているのだ。 このことが親にとってどれほど悲しくショックなことなのか、おわかりになるだろうか。12年注いできたすべての愛情がリセットされ消えてしまうのである。無理やり考えない方向へと自分を導かなければ、さすがの私でも平静を保つことができない。 全ての体験をもう一度繰り返して成長しなければならない。もう一度12年分の愛情を受けなければならない。おんぶしているときの幸せそうな表情は、その大切さを表しているように思う。そのことがわかるまで長い時間がかかり、赤ん坊の息子にとても無理をさせてしまった。それが現在の息子の性格に影響を与えてしまったような気もする。

しかし、残念ながら子どもは天使ではない。力の入れ具合をはじめ何事も加減を知らない。相手が痛いか痛くないかを思いやらずに中学生の力で面白半分に叩いてきたりする。自分の行動や言動が相手にどう受け止められるかという想像力が働かないのだ。 一番大切なことは善悪の判断がつかないということだ。いいことなのか悪いことなのかの知識は間違いなくあるのだが、どうしてやっていけないかという理由が無いのだ。本能と欲望の趣くまま、ものを壊したり、犬や猫をいじめたり、時には殺したら面白いのになどと言ったりする。くれぐれも申し上げておくが、発症前はけしてそんな子ではなかった。 赤ん坊や幼児が虫や小動物を面白がって遊んだり殺したりする行為の延長ではないかと思う。そこに悪意があるわけではなく、感情が備わっていないだけのことなのだ。人は愛情を感じて育つことと死を理解することによって「傷つけてはいけない、殺してはいけない」意味を認識することが出来るようになるのだと思う。その感情が一度消去されてしまったのだから仕方がないことで、赤ん坊の感情にいくら話して聞かせたところで容易に学び取ることが出来ることではない。

あるいはまた、鬱屈した何らかの潜在記憶が影響を与え、それを幼い感情がコントロールできない可能性も否定できないとも思う。いじめられた、虐待されたというような悲しみが自分より弱いものに向って暴力として表現されるということはよく聞くことでもある。もちろん感情が幼いゆえの一過性の行動、言動だと思われ成長と共になくなっていった。

人間が持つ本能というのは生命を維持するためにもともと警戒心が強く攻撃的に出来ているのではないだろうか。野生動物は日常的に危険にさらされているのでその状態が維持され、人間やペットは安心して過ごせる空間や家族がいるおかげで警戒心を解き理性や愛情が形成されるのだろう。赤ん坊は本能をそのまま行動に移す力と手段を持ち合わせていないに過ぎないのだと思う。

 
○明確に記録されない一般記憶
 発症までの一般記憶には何の問題もないのだが、退行時の記憶は不明確にしか記憶されないようだ。例えば通常中学三年の段階では一年の時の記憶はかなり鮮明にあるはずだが、息子の場合退行を起こした一年頃の記憶はかなり曖昧で霧の中を歩いているようなものでしかないようなのだ。

発症以前の小学生の記憶は明確なものとして残っている。 一般的な記憶は一時的に海馬に記憶され必要に応じて大脳皮質へコピーされるらしいが、萎縮によって海馬の機能が低下していることが原因なのだろうと思われる。感情年齢一歳頃の記憶は実際の一歳頃の記憶と同じ程度にしか記録されず忘れ去られていくのかもしれない。


○家族にしかわからない変化
 この症状の最も大きな特徴は、家族以外にはその変化がわかりにくいということである。 長い時間を向き合う家族だからこそ、ほんのわずかな言葉や行動がいつもと違う、おかしい、こんなことはなかった、と感じられることが多い。  

 普通に会話も出来るし知識も記憶も年齢並ではあるので、多少幼いかなとか、ちょっと変わっているかな、という印象を持ったとしても第三者、特に発症前の状態をよく知らない人にとっては何ら他の子との大きな違いを認めることができない。ドキュメントの後半は発作を除けば困った子どもを持った父親の育児日誌、あるいは思春期を迎えた息子の育児相談などと見ても違和感が無いかもしれない。発症前の状態と比較しなければそんな子どもはどこにでもいるということになってしまうのだ。

  不思議なことに家族以外の第三者がいると解離性障害は収まり、言葉も丁寧になる。緊張が本能を抑える働きをするのだと思われ、いくら家族がおかしいと訴えても「どこがおかしいの?」ということになってしまうのだ。 もしかすると家族のつながりの度合いによっては「性格が変わった」「何かおかしくなった」という程度の認識しか出来ないかもしれない。短い時間しか接しない医師にはなおさらわかるはずもない。   心や感情のありようを、血液検査の数値のように明確にするものさしが存在しないのが最大の原因だと思われ、個人差の範囲が大きいのも診断を困難にする理由となる。脳波検査に関してもある医師は異常を認めても別の医師は否定した。 何かおかしいと感じながらもそれが何であるのか突き止められず、医師に訴えても相手にしてもらえない。医師も認めないことを誰が聞いてくれるだろう。副作用を調べても一般的にはそのような症状にはたどり着かない。もし最初の薬で現れた症状だけだったら、おかしいと思いながらも追求しないで終っていたかもしれない。

 
○奇跡は起こらない
 どこかに感情が置き忘れられていて、何かのきっかけで蘇って来るのではと幾度考えたことだろう。けれどもそんな奇跡が起ることはなかった。テレビドラマでよくある記憶喪失のように一時的なものではなく、感情は完全に脳から消去されてしまっていて、取り戻すには長い歳月が必要だった。

同級生から12年も取り残されてしまった。勉強も、人並みの青春も、恋も、届くことのないはるか遠くに消されてしまった。もう一度やり直して成長しても同じ道のりを歩くことは出来ない。一人の人間の人生がこれでめちゃくちゃになってしまったのだ。こんなひどい副作用が他にあるだろうか。「生きているのだからまだいいじゃないか」と副作用で亡くなった方のご家族の方は思われるだろう。私も自分自身にそう何度も言い聞かせてきた。けれども見てはならない地獄を見、やり場のない悲しみと喪失感を抱え、あるのか無いのかわからない将来をひたすら耐えて待たなければならないことが「生きているからいい」とはつい最近まで思うことができなかった。「死んだ方が幸せ」という妻の理屈が正当に思えた瞬間が無かったとは言えない。

私はこの三年の間に多くのものを失った。幸せ、生きる目的、時間、お金・・・。たった二粒の薬で失ったものはあまりにも大きく、誰も助けてはくれなかった。 幸い自営業だった私は従業員に仕事を預け、多くの時間を息子と妻のために使うことが出来た。サラリーマンなら仕事を辞めざるを得なかっただろうし、仕事を優先していたら二人はとうにこの世にいなかったと思う。その代わり借金は増え経営状態は悪化していった。  

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